兵庫・小野高、慶大で活躍し、東京六大学リーグ戦では早大・和田毅[ソフトバンク]と真剣勝負を演じた元フジテレビアナウンサーで現スポーツアンカーの田中大貴は、1980年生まれの「松坂世代」の1人。そんな野球人・田中が、同年代の選手たちをプロ野球現場の最前線で取材、至極のエピソードをコラムに。週刊ベースボール本誌から週刊ベースボールONLINEに場所を移し、連載を続けていきます。 一度止まっている活動

西武時代の松坂。昭和55年世代の中心的人物だ
「松坂世代の連載、読ませていただいています。気になるんですが……プロ野球55年会再始動の話は聞いたりしますか!?」
松坂大輔という伝説的プレーヤーがプロ野球界を去ってから4カ月、こんな質問を受けることがある。
高校時代から注目を浴び、日本球界、そして海を渡りメジャー・リーグでも球界を沸かせてきたスタープレーヤーたちがそろう“昭和55年生まれ”の松坂世代プレーヤーたち。去年、松坂が引退、一昨年は
藤川球児、
久保裕也、
渡辺直人ら長く現役を続けた選手がユニフォームを脱ぎ、100人以上がプロの門を叩いた世代は今、現役を続けるのは和田毅(ソフトバンク)のみとなった。
もちろん、そのまま球団に残り、指導者として活躍を続ける同世代は多くいるのは確かではある。だが、1998年夏に大甲子園を沸かせた選手、大学球界、社会人球界を彩り、プロの世界にたどり着いた魅力あるこの世代の引退後の姿をもっと見たいという愛着あるファンが非常に多いのだ。
「プロ野球昭和〇〇会」といえば、
古田敦也さんを筆頭に
山本昌さん、
星野伸之さん、
小宮山悟さんらが同世代を盛り上げ活動する「昭和40年会」。
三浦大輔さん、
中村紀洋さん、
野村克則さん、
黒木知宏さんらの世代である「昭和48年会」の活動も球界では非常に有名である。
「昭和40年会VS昭和48年会」というタイトルやキーワードで野球以外のさまざまな対決を行う番組も民放で企画され、50代後半、40代後半となった球界のレジェンドをはじめ同世代の皆さんがずっと声援を送り続けてくれたファンたちを楽しませてくれている。
一方で、松坂世代と呼ばれる昭和55年世代は彼らがプロ入団後、「昭和55年会」として2012年のオフあたりまではチャリティーマッチなどの野球イベントを中心に毎年のように活動し、ファンを魅了していた。しかし、松坂、和田、藤川ら中心人物がメジャー・リーグへ活躍の舞台を移してからは活動が一度止まっていた。
「もう一度やりたい気持ちもある」
「(55年会は)またやりたいなと考えています。みんなでできたら」
松坂はメディアから55年会の活動のことを公に聞かれると、こう答えてきた。当時は現役選手として報道陣の前で受け答えをしていた彼は「現役、引退、関係なく、とにかく全員でやりたい」と話してきた。
そして実際に現役を退いたあと、55年会再始動の可能性はあるのか? 松坂の考えを聞いてみた。
「もちろん55年会をもう一度やりたい気持ちはあります。そういう声もいただいています。僕らがメジャーに行ったあと、(村田)修一らが中心となって活動してくれていた。けれど自分もしっかりと参加して、全員がそろって活動するのがベストだと思う部分もあったので、その形が見えたときにきちんと考えたい。55年会が独り歩きするのではなく、しっかりと中身や意味を考えて、誰が先導役となり、どんな組織で、どう活動していくのかを考えないといけないと思います」
この言葉を聞きながら松坂大輔は“55年会”の存在を非常に大切に考え、真摯に向き合っていることを感じた。ただ仲が良いから集まるのではなく、たくさん同期がいるから集うのではなく、球界的にも、社会的にも、そして未来に向けても意義ある集団・組織にしたいという強い思いがあるのだ。
55年会再始動へ。
「松坂世代」「昭和55年」への想いを世代の中で最も強く抱く松坂が旗を振り、長期的に日本での活動を行うことができるようになったとき、昭和55年生まれのスターたちが集うときがやってくるもかもしれない。
「時期が来れば日本プロ球界で指導者となることもあるかもしれない」と話す本人。今はアメリカでの生活がベースとなっている松坂が日本の球団に戻ったとき、現実味を帯びてくる。55年会がファンの皆さんの前に帰って来るのを信じて待ちたい。
文=田中大貴[スポーツアンカー] 写真=BBM