12本塁打を放って“本塁打王”
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05年の交流戦で12本塁打と大爆発した中村
現在は完全に定着した感のある交流戦だが、なにかと手探りだった交流戦“元年”の2005年。1年目は投手の予告先発はなかったが、パ・リーグのチームが主催する試合では指名打者制が導入され、パ・リーグの投手が打席に立つ貴重な姿を公式戦で見ることができる一方、故障などにより代打が中心となっていたセ・リーグの打者は指名打者として先発メンバーに名を連ねた。こうした変化が追い風になった選手がいた一方、慣れない環境が逆風になった選手も。とはいえ、そもそもリーグ公式戦に慣れていなければ逆風でも何でもない。この公式戦がブレークのチャンスとなった若手も多かった。
17年も前のことだから、この交流戦を経験して、2022年も現役を続けている選手は少ない。現在は大ベテランだが、
西武の
中村剛也も05年の交流戦でブレークした1人だ。中村はプロ4年目。前年までは32試合の出場で2本塁打と、なかなか一軍では結果を残せずにいた。それが05年の交流戦だけで12本塁打を放って“本塁打王”。特に
巨人戦では5本塁打の大爆発だった。
中村はシーズン80試合で22本塁打だったから、交流戦での打棒が突出していたことが分かる。ちなみに、この前後に登場したのが、ベテランになった現在も不変のニックネーム“おかわり君”。好きな言葉を聞かれて、「おかわり」と答えたことがキッカケだという。自身も気に入って事あるごとに繰り返したこともあり、一気に定着していった。ただ、その後は低迷。本格的なブレークといえるのは46本塁打で初の本塁打王に輝いた08年で、中村は「(好調が)続かなかったんだから、あのときはマグレだったということでしょう」と振り返っている。
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ダルビッシュは05年の交流戦でプロ初勝利をマーク
一方の投手では、現在はパドレスでプレーしている
ダルビッシュ有がデビューしている。このときのダルビッシュは
日本ハム1年目、ドラフト1巡目で入団したばかりのルーキーで、6月15日の
広島戦(札幌ドーム)で初登板初先発。9回途中まで完封ペースの好投も、2連発を浴びてマウンドを降りた。初勝利は手にしたものの、「一番うれしくて、一番悔しい勝利」と語っている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM