田中将大のヤンキースとの7年契約最終年の2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大のため未曾有のシーズンになった。2月初め、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の集団感染で日本は大騒ぎになったが、アメリカのムードは完全に他人事。「アジアで変な風邪が流行っているらしい」というものだったと記憶している。ところがアメリカにもあっと言う間に蔓延。筆者は例年どおり、フロリダでスプリングトレーニングを取材していたのだが、3月12日にオープン戦の中止とシーズン開幕の延期が決定。何が何やら分からず、先が見通せない事態になった。 新型コロナ禍の中で
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ヤンキース時代の田中
新型コロナ禍のさなか、田中は3月下旬に家族とともに一時帰国した。アメリカではアジア人に対する暴力事件が起こり、身の安全を確保したいという思いからの決断だった。
結局、7月に入ってスプリングトレーニング開始。ようやく視野が開けたのだが、いきなりアクシデントに見舞われた。初日にジャンカルロ・スタントンの打球が頭部に直撃したのだ。軽度の脳震盪(のうしんとう)で、開幕から10日ほど出遅れることになった。
ヤンキースの開幕戦は7月23日。田中のシーズン初登板は8月1日だった。本拠地でのレッドソックス戦。2回まで5対0とリードをもらう。3回、ザンダー・ボガーツに2点二塁打を喫した。キャンプの期間が短かったことで50球の制限があり、2回2/3、51球で交代したが、2失点で勝利に貢献した。
8月は5試合に登板して5回が最長。球数は71が最多だった。成績は0勝1敗、防御率3.48だった。9月に入ると1日のレイズ戦でシーズン初勝利。5試合で3勝2敗、防御率3.62であった。
ポストシーズンでは2試合に登板。インディアンス(現ガーディアンズ)とのワイルドカード・シリーズ第2戦で4回を6失点で勝敗なし。レイズとの地区シリーズ第3戦では4回、5失点で敗戦投手。ヤンキースは2勝3敗で敗退した。
シーズン終了後、FAになった。球団からは、この年1890万ドルだったクオリファイング・オファーの提示はなかった。21年の1月、古巣の
楽天と契約。「(日本のファンに)成長した姿をお見せできればいいなと思う」と抱負を語っていた。
ヤンキースでの7年間、短縮シーズンとなった20年は3勝に終わったが、1年目の14年から6年連続2ケタ勝利。元ドジャース、ヤンキースの
黒田博樹の5年連続を上回って、日本人投手最長。勝率.629(78勝46敗)は50試合以上先発した日本人投手の中で最高だ。メジャーでも抜群の安定感を見せたのだった。
『週刊ベースボール』2022年5月23日号(5月11日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images