“代打の神様”の“代打の真髄”

97年から代打がメーンとなった八木
代打への期待感では他チームの追随を許さない
阪神。絶対的クローザーを守護神と表現するチームは多く、かつて
巨人の
川上哲治は“打撃の神様”の異名を取ったが、代打の切り札を“神様”と呼ぶのは阪神だけだ。初代“ミスター・タイガース”の
藤村富美男も兼任監督としてレギュラーを離れていた時期の「代打、ワシ」という明言で語り継がれているが、初代“代打の神様”の称号を得たのは
八木裕だ。
八木は低迷期、いや暗黒期とさえいえる時代の阪神が唯一、リーグ優勝を争って、2位に浮上した1992年に21本塁打を放った右のスラッガー。天王山といえる9月11日の
ヤクルト戦(甲子園)でサヨナラ本塁打を放ったかと思われたが、エンタイトル二塁打に判定が覆る“幻の本塁打”でも印象に残る。
阪神の代打で人気を集めたのは70年代から80年代にかけて活躍した
川藤幸三だが、八木が背中を見ていたのは日本一イヤーの85年に長打もあるリードオフマンとして打線を引っ張った
真弓明信だという。キャリア終盤は代打の切り札となっていた真弓は「そんな1打席で結果が出るわけないやろ、みたいな割り切りをされていて、凡退しても次の日に引きずらずに行っていたと思います」という。八木が故障もあって代打がメーンになったのは97年。八木は「あの年からですね、本当のプロフェッショナルになったのは」と振り返る。
結果的にキャリア最後の本塁打となったものの、2002年には初球を打って劇的な逆転満塁本塁打に。「ボールカウントに支配されていますから、初球は狙いたい」と八木は語るが、「本音を言うと、1球は見たいんです」とも言う。「スピード感を体感したい。長いシーズンなので初球でも振るぞという姿勢を見せておかないと。初球でも(打ちに)いく用意は一応していました」と八木。
ただ、こうした打撃論よりも、「きついのは野手の代打として出ていくとき。チャンスで代えられる苦しさ、つらさ、みじめさもあるでしょうし、その選手の打席を奪うわけですから、奪った以上は、その人よりも結果を出さなければいけない」という言葉が“神様”らしいといえるかもしれない。
文=犬企画マンホール 写真=BBM