貴重な一打を放った「部長」

母校・新宿高を指揮する田久保監督[右]と、部長の役職を担う左翼手・岩佐[左]。同校は23年ぶりの東東京大会4回戦進出を決めた
新宿高校は東京府立第六中として1921(大正10)年に創立。50年に現校名となり、2022年には100周年記念行事が予定される東京都立屈指の伝統校である。
1946年に創部された野球部には、チームを束ねる「主将」とは別に「部長」という役職がある。縁の下の力持ち。淵江高との東東京大会3回戦(7月17日)。4対1の8回表に貴重な一打を放ったのが、九番・左翼の部長・岩佐和樹(3年)だった。
二死一、二塁。岩佐は右打席から強振し、ライト後方への打球を放った。相手右翼手がグラブを差し出すも、わずかに届かず(記録は失策)、二塁走者が生還した。5対1。新宿高は23年ぶりの4回戦進出を決めた。
新宿高・田久保裕之監督は試合後「良い打球だった。絶対に打つと信じていました。チームで一番、練習してきたのが岩佐。最後のもうひと伸びがあったのも、努力の賜物。野球の神様が運んでくれた一打です」と喜んだ。
田久保監督も新宿高時代は部長だったからこそ、岩佐の苦労を誰よりも知る。「主将の一村(幸、3年)を影ながら支え、いつもチームのために献身的です」。指揮官が3年生で5回戦に進出した1999年以来の32強である。
「あえて、生徒たちには言わないようにしてきました。背負わせるのもどうか、と……。目の前の試合に集中してほしかった」
試合後に始めて「23年ぶり」と聞かされた岩佐は「そんなに勝っていなかったんですね(苦笑)」と目を丸くさせた。
わずか1安打での勝利であり、したたかな野球を展開した。1回表、制球に苦しむ相手の先発投手を攻め立て、無死満塁から四番・本村忠勝(3年)のスクイズで先制。次打者が死球で、一死満塁から押し出し四球の後、スクイズで3点目を挙げた。この2つのスクイズは、いずれもフルカウントからだった。
「ふだんは、あまりやらないんですけど……。雨が多く、打撃練習ができなかったんです。ただ、打てなくても点を取る練習はしてきました。あの場面はストライクを投げるしかないですから、ストライクをしっかり転がす、と。夏は重たい試合になることは分かっています。結果的に初回の3点は大きかったです」
エース右腕・青柳光祐(3年)が安定感のある投球を披露し、試合巧者ぶりを見せた。
後輩に見せる75回制の「背中」
新宿高は昨秋、東京都一次予選を突破し、23年ぶりの本大会進出。今春は本大会で9年ぶりの勝利を挙げ、東海大高輪台高との2回戦では逆転勝利で、3回戦まで駒を進めた。現在の3年生である「75回生」は、実績において、輝かしい足跡を残してきた。だが、5月末、チーム状態は停滞。最上級生として、後輩たちに何が残せるのか、明確な「答え」が見つからなかったという。
女子マネジャー1人を含めて3年生7人。あまりに高い理想を掲げ、責任感が強い主将・一村に、周りがついていけていなかった。部長・岩佐は一村の「孤立」を察知。つなぎ役として水面下で動き、同期に理解を求めた。主将・一村も仲間に対して聞く耳を持ち、歩み寄る姿勢も見せ、3年生は一枚岩となった。
「日本一の文武同道の達成」がモットーである進学校・新宿高の平日の練習時間はわずか45分。勝負しているのは練習量ではないと、部長・岩佐は力を込める。
「万事練習という部訓がありますが、ウチの練習は24時間。勉強、食事、寝ることも練習。グラウンド以外の私生活をしっかりすることが、試合におけるあと一歩、あと一球につながる。7人で話し合った6月以降『3年生が何でもNo.1』をやり続けてきました。自分がこだわるのはグラウンドの環境整備。ここは、率先して取り組んできたつもりです」
常日ごろからの地道な積み重ねが、田久保監督が言う「最後のもうひと伸び」となったのだ。指揮官は75回生の「背中」について言う。
「野球は完成していませんが、チームワーク、ゲーム運びは、今までの新宿にはなかったものを発揮している。よくまとまった7人です」
23年ぶりの5回戦進出をかけた4回戦は共栄学園高と対戦する。田久保監督は言う。
「(初戦の2回戦から)先行して勝つのが2試合、続きました。劣勢の場面を、跳ね除けられるか。そういう練習も積んできましたので、食らいついていきたいと思います」
2022年のチームスローガンは「継勝」。部長・岩佐は「一戦一戦、戦った先に甲子園がある。でも、今日、勝ったことは忘れて、次への準備を進めていきたいです」と謙虚に語った。背伸びすることなくワンプレー、ワンプレーを全員で確実にこなす。やってきたことを信じて出すだけ。新宿高に怖いものはない。
文=岡本朋祐 写真=BBM