2022年の象徴は背番号1
明大との明治神宮大会決勝[11月24日]。8回表に代走で起用された国学院大・古江は惜しくも二盗を失敗した。右はベースカバーに入った明大の遊撃手・宗山[写真=菅原淳]
「秋日本一」をかけた明治神宮大会の大学の部決勝(11月24日)は緊迫した展開だった。
0対1。1点を追う国学院大は8回表、先頭の正捕手・神里陸(2年・東海大相模高)がこの日、3安打目の中前打で出塁する。
一塁ベンチで指揮する国学院大・鳥山泰孝監督は、勝負に出た。代走の切り札で主将・古江空知(4年・大分商高)を起用したのだ。
もちろん、最善の準備はできていた。なぜ、呼ばれたのか。古江は分かっていた。明大バッテリーも当然、警戒してくる。でも、ここは、攻めていくしかないシーンである。
「何とかセーフになって、ヒット1本でかえれる状況をつくろう、と。相手投手と自分とのタイミングも合ったので、仕掛けました」
古江は絶好のスタートを切ったものの、明大の正捕手・蓑尾海斗(4年・日南学園高)の強肩が上回った。決死のヘッドスライディングも、わずかに及ばなかった。
ノーサイン。自らの判断で走った。鳥山監督も「あうんの呼吸。(チームの誰もが)納得したスチール」と、攻めた結果に後悔はない。
0対1。国学院大は初優勝を逃した。6月の全日本大学選手権を通じて、初の大学日本一はならなかった。昨年は東都で春秋連覇、そして今秋も激闘を制し、間違いなく、全国の頂を視界にとらえていることは間違いない。
東都一部の安定勢力。国学院大の伝統は「4年生野球」である。どこの大学も、最上級生の働きがポイントを握ると言われているが、国学院大の「精度」の高さは、東都大学リーグの中でも、相当なレベルにある。2022年の象徴は背番号1の古江だった。
大分商高から投手として入学したが、登板機会はなかなか得られなかった。俊足を生かし、出場のチャンスをつかむため、3年夏に外野手に転向。走塁技術を磨き、足のスペシャリストとして同秋にはメンバー25人入りを果たした。古江が努力する姿勢は、一目置く存在。人間性を重視する鳥山監督から全幅の信頼を得て、新チームでは主将に指名された。グラウンドに立つ場面は少ないが、ベンチワークで鼓舞。献身的に、身を粉にして動いた。
「つらいこと、苦しいことが多かった1年。こうして全国の舞台でプレーし、また、リーグ優勝という形で報われる瞬間のために、(キャプテンを)続けることができました。良い仲間、良い指導者にも支えられました」
後輩に託した「日本一」の夢
0対1で惜敗した決勝後、主将・古江はチームを代表してスタンドにあいさつし、心から感謝を示した[写真=矢野寿明]
同級生が「主将力」を明かす。右腕・
田中千晴(4年・浪速高、
巨人3位指名)は言った。
「古江を中心につくってきた本当に良いチーム。周りからそう言われることもありましたが、中にいても本当に感じる。古江には芯があって、周りが付いていく存在でした」
「日本一」の夢は、後輩に託す。明大との差は何だったのか。古江が言うからこそ、説得力がある。
「守備でリズムをつくって、ワンチャンスを生かす。チームとしての技術的な差はない。何が劣っていたのかと言えば、ベンチの気迫。あと1試合にかける思い……。ほんの少しの思い、穴が差として出たと思います」
鳥山監督にあらためて、貢献度を聞いた。
「古江がつくってきたチーム。日本一にさせてやりたかった。続きは、来年以降。感謝の気持ちで、4年生を送り出したい」
指揮官の横で、古江は号泣。鳥山監督もグッと涙をこらえているように見受けられた。主将がけん引した国学院大は22年も「4年生野球」を体現した。「日本一」という形で結実させることはできなかったが、取り組んできたことは正しかったと、胸を張って言える。学生野球は結果だけではなく、過程こそが、その後の人生に活力になる。鳥山監督の熱血指導の下、3年生以下の後輩たちは23年以降も、年輪を重ねていくのである。
文=岡本朋祐