「人生の教え子」として接する
選手たちに指示を送る広陵高・中井監督には、一貫とした指導理念がある[写真=菅原淳]
広陵高校野球部には、卒業生が帰る「家」がある。コロナ禍以前は、毎日のように教え子たちが中井哲之監督の下に足を運び、あいさつする。オフシーズンになれば現役プロ、社会人、大学生選手などが学校を訪問し、グラウンドはさらに、にぎやかになる。春夏の甲子園のほか、今秋のように明治神宮大会出場時は、OBから宿舎に多くの差し入れが届く。他校と違うのは、ベンチ入り選手のみを対象にするのではなく、地元・
広島に残留しているメンバー外へのケアも忘れない点にある。
試合に出場できるのは9人。甲子園、明治神宮大会であれば、伝統のユニフォームを着られるのは18人。激しいチーム内競争を経て、登録選手が決まる。広陵高は3学年がそろえば部員約130人の大所帯。そのほとんどが、サポートへと回ることになる。野球は9人でプレーしているのではない。中井監督は控え選手へのケアを最も大事にする。指導者として、一貫としたポリシーとしてある。
同校野球部に入部するのは「家族」の一員になることを意味する。中井監督は「人生の教え子」として接する。野球部員は寮生活で本音で向き合うからこそ、強い絆が生まれる。生徒たちは、父のように慕う。
2007年夏の甲子園。広陵高は佐賀北高と決勝を8回表まで4対0でリード。残り2イニングで右腕エース・
野村祐輔(現広島)は完封ペースだった。だが、8回裏に押し出しで1点を返され、直後の逆転満塁本塁打で敗退した(4対5)。ストライク、ボールの微妙な判定で野村、
小林誠司(現
巨人)のバッテリーは困惑。試合後、中井監督はインタビュー冒頭で「勝ったチームが強い。あの場面で逆転した佐賀北さんは素晴らしい」と、相手校を称えた。その後、8回のジャッジに対して意見を述べた(日本高野連から厳重注意)。旧知の記者からは「監督のご立場があるので……」と制止を促されたものの「私のことはどうでもいい」と、コメントを続けたのだった。
「私には今後も甲子園で戦うチャンスがあるかもしれないですが、この子たちは3年間という限られた時間で必死になり、命をかけている。これでは、浮かばれない」
当時、記録員だった高西恵司副部長は回顧する。
「宿舎に戻ってから皆、涙を流したんですが、これは悔し涙ではなくて、うれし涙だと私は受け止めています。もちろん、私たちは審判員の判定に対して、何かを言うことはできません。自分たちの気持ちを代弁してくれた中井先生の思いがうれしくて……。部員のことを第一に考えてくれる、中井先生の下で3年間を過ごせたのは幸せでした」
ミスで優勝を逃しても
昨年に続き、決勝で対戦した大阪桐蔭高との明治神宮大会決勝[11月24日]では2年連続準優勝。主砲・真鍋は出場が確実なセンバツでのリベンジを誓った[写真=矢野寿明]
あの夏から15年が経過したが、中井監督の指導理念は何も変わっていなかった。
大阪桐蔭高との明治神宮大会決勝(11月24日)。広陵高は4回までに5対0とリードしていた。大阪桐蔭高は四球や守りのミスが連発し、西谷浩一監督が試合後「完全な負けゲーム」と振り返ったほど。3対0の4回裏には主砲・
真鍋慧(2年)の2ランが飛び出し、広陵高が完全に主導権を握ったかと思われた。
しかし、5回表。ワンプレーが流れを変える。先頭打者が放った打球を、広陵高の左翼手・佐々木駿(2年)が目測を誤り、三塁打とした。決勝の試合開始は午前10時。西谷監督が「この球場の難しさ」と明かしたように、この時間帯、左翼手はまともに太陽が目に入る。難しいコンディションだった。広陵高は相手打線の打者11人の猛攻により、5対5に追いつかれ、6回表には逆転を許した。5対6で惜敗。昨年と同カードとなった決勝で、2年連続準優勝に終わっている。
試合後、中井監督は佐々木のプレーについて語った。
「あれも野球なので、責めることはできない。真面目にやってきた選手なので、こういうこともあるんだな、と。一生懸命頑張って、神宮大会のベンチ入り、スタメンを勝ち取った子。ミスだとは思うが、本人を責める選手は一人もいないと思います」
佐々木は中国大会でメンバー外。努力を積み重ね、明治神宮大会で背番号17を手にし、北陸高との準決勝では七番・左翼で先発し、1安打2四球と持ち味を発揮した。控えから這い上がってきた練習の虫。中井監督は、試合で出たミスは、チーム全体のミスとして受け止める。試合後に言った。
「ここに出てくるだけでも大変なこと。2年連続決勝に進めて感謝していますし、悔しいです。自分たちで考え、練習して、良いチームにしないと、強いチームにはならない。自分たちの野球を引き出して、頑張ってくれたら、と。しっかり、見守りたいと思います」
監督であり、父の顔だった。
真鍋は今大会2本塁打を放ったが「チームが勝てなかったので、それが一番悔しい」と話し、主将・
小林隼翔(2年)は「甲子園で日本一を取れるように、甲子園で借りを返したいと思います」と決意を語った。
全国大会決勝で経験した逆転負け。15年前の夏の甲子園と異なるのは、雪辱する機会が残されているということだ。東京で味わった無念を広島へと持ち帰り、出場が確実な来春のセンバツへ向けて日々、鍛錬を重ねる。中井監督は一冬かけて、来春はさらに一体感ある「大家族」に仕上げてくるはずだ。
文=岡本朋祐