元南海─大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』が2月4日にベースボール・マガジン社から発売された。 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀、門田博光、コーチ時代の落合博満、村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。 野村克也監督も仕方ねえなと言う顔になって……

『酔いどれの鉄腕』表紙
本の内容をちょい出ししている連載。
今回も1970年、佐藤道郎さんの1年目。前回の焼き肉話に続き、やっぱり伝説の大エース、
杉浦忠さんにまつわる話である。
もう一つ、杉浦さんで覚えているのは1年目の東京遠征。前の日、飲み過ぎで寝坊しちゃって、集合時間に遅れちゃったんだ。慌てて大阪球場の球団事務所に行ったら「バカヤロー、間に合う新幹線で早く行け!」と怒られた。
そしたら、そこに杉浦さんが来て、
「ミチ、お前も寝坊したのか」
「杉浦さんもですか」
「おう、一緒に行くか」
となったんだ。
当たり前だけど、杉浦さんに文句言う人なんか誰もいない。
新幹線では、杉浦さんはグリーン車、俺は指定席だったけど、「お前もグリーンに来い」と言われ、2人並んで東京に向かった。「野村さん、怒るだろうな」と思いながらね。
南海の宿舎は、原宿にあった神宮橋旅館というところで、着いたらすぐ2人で野村さんのところに行った。杉浦さんは平然と立っていたけど、俺は正座して「すみませんでした」と謝った。こういうときはあれこれ言い訳せず、早めに謝っちゃうに限るというのが、俺が日大時代に学んだことだから。日大なら早かろうが遅かろうが殴られるけどね。
野村さんは、「おい、ミチ、お前は1年目で遅刻しやがって。罰金や」って怖い顔してた。
謝りながらも「罰金か。痛いけど、しゃあないな」と思っていたら、杉浦さんが、「ノム、お前も現役時代、何度も遅刻してみんなに迷惑掛けたやろ」と言ってくれたんだ。
そしたら野村さんも仕方ねえなって顔になって、「ミチ、今回は許してやるから次から気をつけろ」と。
心の中で「さすが杉浦さん、ありがとうございます。カッコいいです!」って思ったよ。