元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』がベースボール・マガジン社から発売された。 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀、門田博光、コーチ時代の落合博満、村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。 先発がいなくなって、「お、チャンスだ」

『酔いどれの鉄腕』表紙
本の内容をちょい出ししている連載。今回は近鉄のコーチ時代、
吉井理人をリリーフから先発に回したときの話だ。
近鉄時代だと、吉井理人(現・
ロッテ監督)も印象にある。抑えで出てきたピッチャーだけど、俺が近鉄のコーチになる前の年(1992年)に故障した。代わりに抑えになった
赤堀元之が大活躍したんで、出番が減っていたけど、度胸もあるし、技術も力があることは分かっていた。俺は先発もいいんじゃないかって思っていたんだ。
西武戦(1993年6月17日。西武球場)で、先発予定の投手が前日になって故障で登板回避となって、先発がいなくなったことがある。
鈴木啓示監督に「あした誰がいる?」って聞かれ、チャンスと思って「吉井がいいんじゃないですか」と言ったんだ。「あいつはリリーフじゃないか」と言われたけど、「いいじゃないですか。リリーフを一番手から投げさせると考えれば。次も準備しておくんで、3イニングを抑えるつもりで投げてもらいましょう」。そしたら「う~ん」と考え込んじゃって「あしたの朝に返事する」とだけ言われた。
俺は吉井に「絶対に行かすから準備しておけ」と伝え、次の朝、監督が「じゃあ、吉井で」って言ってくれたんで、先発させたら完投しちゃったんだ。
勝算はあったよ。実際、俺がリリーフをやっているとき、昔だから谷間の先発もよくやったけど、完投したこともある。別に完投を目指したわけじゃないし、5回も考えてない。とりあえず1回りと考え、抑えたら「よし、じゃ2回り目」みたいな感覚でやっていくと、意外とうまくいくんだ。一応、俺も15完投ほどしてるしね。
吉井も俺と同じことができると思ったんだ。だから吉井には「特別なことはしなくていい。リリーフと同じだと思っていつもどおりに行け」とだけ言っていた。
まあ、それだけで特に何も教えたわけじゃないけど、吉井はそこから先発に定着して、メジャーとかあちこちに行って長く現役を続けた。そういうきっかけづくりもコーチの面白さだね。