副将として責任を背負ってプレー

早大・熊田は遊撃手部門で初のベストナイン受賞も、チームは4位とあって、笑顔はなかった
早大・
熊田任洋(4年・東邦高)が初のベストナインを、こだわりのある遊撃手で初受賞した。早大は東京六大学春季リーグの今季最終戦、勝ち点をかけた慶大3回戦(5月30日)を、0対1で惜敗した。打率.341(リーグ6位)、2本塁打を放ち、13打点は同トップ。試合後の会見で、横にいた早大・
小宮山悟監督は「喜んでいいんだぞ」と、優しい言葉をかけたが、チームが4位に終わったこともあり、終始浮かない表情だった。副将として、相当な責任を背負って、プレーしていた。
「守備の面で言えば、球際を鍛えないと。打撃面では後半、失速してしまったので、チームが劣勢のときも、自分の打撃ができるようにしたい」。熊田は反省ばかりが口をついた。
熊田は1年春から不動の遊撃手として起用された。しかし、小宮山監督は「(打球を)待ってセーフになることがあった」と、3年秋に二塁へコンバート。同シーズンは打率.342、3本塁打、9打点とキャリアハイの数字を残した。新チーム結成時、小宮山監督は熊田をそのまま二塁で起用する構想があったが「本人が勝負させてください、と言うので」と、遊撃に戻した。要望を受け入れるからには、責任が伴う。「ずっと守ってきたポジションなので」と、熊田にも覚悟があった。
3月の沖縄・浦添キャンプでは率先して動き、泥んこになって白球を追いかけているのが、印象的だった。多くを語るタイプではない。寡黙に背中で見せてきた。

1勝1敗で迎えた慶大3回戦。1点を追う9回裏、熊田は先頭打者で執念の中前打を放った
この春、主将・森田朝陽(4年・高岡商高)が体調不良により、終盤の2カード、ベンチ登録25人から外れた。チームの大黒柱を欠いたが、熊田ら4年生がカバー。特に背番号1を着ける副将・熊田はゲームキャプテンとして、チームを鼓舞した。だが、開幕から2カード連続勝ち点も、その後は勝ち点を伸ばせず、同2のままシーズンを終えた。初の個人タイトルも、心の底から喜べるはずもない。自己評価に厳しい熊田の一方、小宮山監督は春のシーズンを終え、労いの言葉を残した。
「本人は『球際』と言っていたが、追いつかないと思われた打球も、追いついていた。スローイングも安定していた。合格点。さらに、自信を持ってもらっていい」
熊田には、勝負に対する執念がある。東邦高3年春のセンバツでは主将・
石川昂弥(現
中日)とともに、30年ぶりの優勝を経験。侍ジャパンU-18代表でもプレーし、多くの修羅場を踏んできた。小宮山監督が「喜んでいいんだぞ」という言葉にも一切、表情を崩さなかったのも、勝負師たるゆえんだ。慶大3回戦。0対1の9回裏、先頭打者の三番・熊田は中前へ落とした。最後まであきらめない、熱いハート。このままでは絶対に終わらない気概を感じた。4年秋、学生野球の集大成となる、熊田のラストシーズンから目が離せない。
文=岡本朋祐 写真=矢野寿明