定岡正二氏、篠塚和典氏、川口和久氏、槙原寛己氏の書籍『昭和ドロップ!』が5月2日(一部地域を除く)、ベースボール・マガジン社から発売されました。昭和に生まれ育ち、昭和、平成に輝いた4人が、巨人、長嶋茂雄、青春の多摩川ライフなど、あのころのプロ野球を愛あり笑いありでたっぷり語り合う1冊です! これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載です。 「金色のベンツなんて、どこで買ったのかなと思いましたよ。アラブの大富豪みたいだなって(笑)」(槙原)

『昭和ドロップ!』表紙
定岡正二さん、篠塚和典さん、槙原寛己さんで多摩川&寮生活について語ってもらった章の一部である。
槙原 車もあこがれでしたよね。僕らのころは車を買うのがOKになってからも最初は日本車でと言われました。寮生活の最後のころかな、もういいだろうと思ってサダさんの紺色のベンツを譲ってもらったら、当時の寮長に「お前、もうすぐ寮を出るんだから、それまであの車を隠せ」と言われて、隠したことあります。
定岡 あのベンツは、いい車だったよな。
槙原 僕は、あの車で事故しちゃいましたけど。
定岡 そうだったな、エンジンブレーキを知らずにね。
──何があったんですか!
槙原 熱海でゴルフやって、終わってからボウリングをやろうとなったんですよ。当時はナビなんてないから、知らない山道で一生懸命、前の車を追いかけていたんですが、僕はエンジンブレーキを知らずに、下り坂でギュッギュとブレーキを踏んでいたんです。そしたら、だんだんブレーキの利きが甘くなってきて「おかしいな」と言っていたら、隣に乗っていた村田チュウ(真一)が「もっと早く踏めばいいんや」みたいな話をして、さらに頻繁に踏んでいた。最後は完全に利かなくなりました。あれは怖かった!
定岡 あのころは外車に乗るのが一流選手のステータスだったよね。
王貞治さんや長嶋茂雄さんが多摩川に外車で来るのを見て、二軍の選手は「カッコいいな。いつか俺も」って思うんだ。成功の証しみたいに見えてさ。若いうちは、ほかに趣味をつくる時間の余裕もないから、いつの間にか、みんな車が好きになる。
槙原 一番の車好きはシノさんですよね。
篠塚 僕も最初は日本車で、それから紺のBMWに乗ったのよ。でも、コーチだった
土井正三さんに「何様のつもりだ!」って言われて、すぐにプレリュードに替えた。知り合いに探してもらったもので色は緑だったけど、嫌だったから赤に塗装してもらってね。でも、俺は車洗うのが好きだから、ずっと洗っていたら、下から緑色が出てきちゃった(笑)。
槙原 そうそう、シノさんが車洗っているのをよく見ました。
定岡 シノは車を洗うのが好きだよね。ラッコかシノかっていうくらい(笑)。洗うと落ち着くんだって言ってたね。
篠塚 毎日、洗ってましたから。
槙原 昔はベンツに乗っている人が多かったですよね。当時の駐車場を見たらベンツのディーラーよりすごかったんじゃないかな。
定岡 西本聖はガルウィング(鳥の羽根のように上に開けるドア)じゃなかった?
''槙原 そうでした。色が金色です。金色のベンツなんて、どこで買ったのかなと思いましたよ。アラブの大富豪みたいだなって(笑)。
定岡 しかも本人が着けているチェーンとか全部ゴールドなんだよな(笑)。
槙原 そうそう、あるとき西本さんが指をケガしてきたから、「どうしたんですか?」って聞いたら、ガルウィングの(上に開閉する)ドアに挟まれたって言ってたことがあった(笑)。僕は西本さんの話は結構ありますよ!
定岡 大丈夫か、怒られても知らんぞ(笑)。