定岡正二氏、篠塚和典氏、川口和久氏、槙原寛己氏の書籍『昭和ドロップ!』が5月2日(一部地域を除く)、ベースボール・マガジン社から発売されました。昭和に生まれ育ち、昭和、平成に輝いた4人が、巨人、長嶋茂雄、青春の多摩川ライフなど、あのころのプロ野球を愛あり笑いありでたっぷり語り合う1冊です! これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載です。 「プロに入っても『集合』があったのは驚きましたね」(槙原)

『昭和ドロップ!』表紙
定岡正二さん、篠塚和典さん、槙原寛己さんで多摩川&寮生活について語ってもらった章の一部である。
定岡 マキのときは、朝の散歩あった?
槙原 もうなかったですね。
定岡 僕らのときは起床して、全員で集まってやってたんだ。
武宮敏明さん(伝説の寮長)と一緒に。
篠塚 結構、歩きましたよね。
定岡 途中に音楽堂みたいなところがあるんだけど、母の日に、そこから自分の故郷に向かって「お母さーん!」って叫べって言われた(笑)。あれはびっくりした。
槙原 僕はプロに入っても『集合』があったのは驚きましたね。屋上に全員が呼び出され、先輩たちに正座させられた。僕はそのとき、たまたまいなかったんですけど。
篠塚 俺らは正座したとき、バットを足の間に挟んでやらされたよ。やっぱり寮の屋上でね。社会人になってもこういうことがあるんだって驚いた。でもマキのころで最後じゃないの?
槙原 そうかもしれないですね。
定岡 俺は経験ないな。
篠塚 僕らは同期が悪かったんですよ。
定岡 昔は、なんでも連帯責任だったからな。
篠塚 朝の旗揚げ当番とか電話当番があったね。
定岡 電話番は大変だったな。下の事務室でやるんだけど、休みの日に一日中電話の近くにいるんですよ。これがきつい。
篠塚 出掛けたら裏返す名前の札があったから、それを見て外出してるかどうか確認して、いればマイクで「××さん、だれだれさんから電話で~す」って呼び出す。
槙原 昔は当然、携帯はないし、部屋の電話もなかった。2台だけ赤電話があって、みんな彼女に電話してましたね。
定岡 ジャイアンツ号(多摩川グラウントへの行き来などで使う車)で寮長の送り迎えを言われるときもあったけど、あれはうれしかったよね。僕は車が好きだったんだけど、自分の車もないし、ふだんは運転する機会がないからさ。
槙原 寮長じゃないけど、先輩に「免許、持ってるか」って聞かれて「持ってます、大丈夫です」って言ったら「じゃあ送ってくれ」って言われたことがあります。僕も車に乗れるからうれしくて。でも、慣れてないんで、ギアを間違えてドライブ入れたら崖に落ちそうになった(笑)。ほんとはバックに入れなきゃいけないのに。「もうお前はいい!」って言われました。