かつては主将として日本一

1999年に日本一を遂げた青学大の主将・四之宮氏は、母校コーチとして18年ぶり5度目の全日本大学選手権制覇に貢献した
朝から天候が悪かった。全日本大学選手権は毎年、梅雨時の開催で、雨が付き物である。
「あのときのことを、思い出しますね」
1999年、青学大の主将(内野手)として3年ぶり3度目の日本一へと導いた四之宮洋介氏は言った。早大との決勝は雨中のコンディションも、青学大ナインはたくましかった。
2年生左腕・
石川雅規(現
ヤクルト)が1試合を投げ切り、胴上げ投手(6対2)。四之宮氏と今治西高時代のチームメートの左腕・
藤井秀悟(元ヤクルトほか)、1学年下の右腕・
鎌田祐哉(元ヤクルトほか)の2本柱を攻略した。大学選手権初優勝の93年は主将・
小久保裕紀(元
ソフトバンクほか)、2度目の優勝の96年は主将・
井口資仁(元
ロッテほか)とスター選手がけん引していたが、四之宮主将が束ねた99年はチーム力のVだった。前年春には一部6位で国士舘大との一部二部入れ替え戦を経験。四之宮主将がリーダーシップを取り、私生活から立て直した代である。
当時の学生コーチ(一塁コーチ)が、2019年1月から青学大を率いる安藤寧則監督だ。
24年後、大学日本一をかけた舞台がきた。明大との全日本大学選手権決勝(6月11日)。試合前、雨は上がった。四之宮コーチは恩師・河原井元監督のすぐ近くで、スコアを取りながら観戦した。
四之宮コーチは青学大卒業後、日産自動車でプレーし、2006年のアジア競技大会(ドーハ)では日の丸を背負い、銀メダルを獲得した。09年限りで同社野球部休部後、10年9月からは休日を利用して、母校を指導している。四之宮氏のスキのない攻守にち密なスタイルは「河原井野球」の申し子である。同級生・安藤監督のためには、協力を惜しまない。
「安藤監督が就任した当時は二部にいましたから、何とかして、強い青学を取り戻そうと、力になりたいと思っていました。1学年上の中野(真博、コーチ)と世代の近い3人で指導しています。青学は良い選手が入学してくるので、次の舞台でもプレーが継続できるよう、良い部分を伸ばす指導を心がけています」
選手の変化を確認
安藤監督の指導の根底にあるのは何か。
「真っすぐ野球と向き合う。日々の積み重ねが、自分にかえってくる。必死さを見せることで、周りは自然と助けてくれる。応援されるチームを目指しています。自分に正直になれるか。チームメートに正直になれるか。学生野球ですし、そこがベースにあります」
安藤監督は同期・四之宮コーチを「週末限定ですが、とても良いタイミング。選手の変化を確認することができる」と感謝している。
明大との決勝は4対0で勝利。18年ぶり5度目の日本一を遂げると、四之宮氏は河原井元監督と固い握手を交わした。
「学生たちの努力により、この舞台(決勝)に連れてきてくれて、うれしいというか、ようやく、たどり着いただけです。優勝したとはいえ、まだ課題はたくさんあります。一つひとつ、つぶしていけたらと思います」
勝負師。現役時代と、その目の鋭さは変わらない。熱血OBが青学大の伝統を守っていく。
文=岡本朋祐 写真=BBM