栗山監督を支えた「三原ノート」の存在

WBC大会後に実現した川淵氏と栗山氏による特別対談
Jリーグ、日本代表、日本サッカー協会会長、バスケットボールの各々において、固定概念に縛られない発想と行動力で周囲を動かし、日本のスポーツ史を変えてきた川淵三郎氏。その仕事のすべてが描かれた書籍『キャプテン! 日本のスポーツ界を変えた男の全仕事』がベースボール・マガジン社から発売された。本書に掲載された栗山英樹氏との特別対談の一部を抜粋し、不定期でお届けしていく。第2回は「三原マジック」についてのやりとりから 稀代の名将からヒントをもらって
川淵 栗山さんは
三原脩さんに心酔していて、「三原ノート」を、
中西太さんのところまで行って読ませてもらったと、テレビ番組で拝見しました。三原さんのどういうところに一番魅かれていたんでしょう。初めに三原さんの戦い方や、精神性を知りたいと思ったのは何がきっかけだったのですか?
栗山 その昔、三原マジックっていう言葉がありました。みんなが困っている時にチームを勝たせる形があるのかもしれないと興味を持ったんです。たまたま、中西さんのおかげで当時のノートを見せて頂いて、実際には、マジックとは全く正反対の、本当にきめ細かくいろんなデータがびっちりと書かれていたんですよ。こんなに論理的なんだ、と感激し、そこから生まれる戦術だからこそ、みんなが想像もしなかったマジックになるんだなと、理解しました。だから先輩たちが遺してくれた野球はとても勉強になる。ノートには、それまで誰もやらなかった三原さんの作戦も書かれているんですけれど、今回も勝たなければいけない戦いでしたので、絶対に最後まで諦めてはいけないし、絶対に何か方法があるんじゃないか、三原さんのノートの中に答えがあるんじゃないかと思い、ずっと探していたんです。
川淵 三原さんはとても綺麗な字で、几帳面ですよね。三原さんのイメージとは違う。達筆ですしね。
栗山 はい、初めて実物を拝見した時は僕もびっくりしました。
川淵 三原さんの娘さんが、中西さんの奥様でしょう? 本当に素敵な方でしたから、中西さんが羨ましいなぁ、サッカーより、やっぱり野球か、と思ったんですよ、僕が二十歳の頃でした。世界中に、色々なスポーツがあって、様々な立場の監督がいます。でも、チームのために何が大事なのかじゃなくて「選手のために何が大事かを考える」と言い切る監督は、僕が知る限り、栗山さんが初めてだと思います。そのベース、そういった発想は、サッカーはもちろん、他にはない独特な考えで、それはどこから出てきたんでしょう。
栗山 そういう風に言って下さって嬉しいのですが、僕は、実績も何もないなかで監督をやらせてもらって、しかも日本代表ですから、それほどの手腕は……。
川淵 いや、実績がないなんてことは全くない。
日本ハムで、それはもう監督になる時から、日本ハムの社長やGM、決定権のある上層部は、ちゃんと栗山さんの実力を見抜く目があったんで優勝もされたし、し烈な競争を生き残ったプロ選手でもあったんですから、何の実績もないというのは当たっていませんね。
栗山 野球ってチームで勝負はしているんですけれど、最後は、個々で勝負する場面が多いスポーツです。選手の持っている、いいところを引き出して、それをうまく使わせてもらって勝つのが野球だと思っています。だから選手には、チームの勝敗はこっちが考えるから、もう好きに楽しんでくれ! お前たちの力を十分引き出してプレーしてくれ、と言ってきました。それに、みんな一流選手なので、チームのために献身的にプレーするのは分かっていました。その気持ちを大事にし、お互いが分かり合うというか、とにかく、お前は自分自身を最大限生かせよ、と僕は思っていただけなんです。
川淵 自分の力を引き出して楽しめ、というメッセージが選手に与える影響、インパクトはもの凄く大きいですね。そういう意味では栗山さんって面白い人だなって思ったのは、スピードのある選手はスピードを生かした盗塁をやればいいけれど、たとえスピードのない選手でも、頭を使えば、ちゃんと盗塁できるんだ、と、決めつけて指導していないんです。選手はもっと頑張らなくちゃって気になりますし、選手たちへのアプローチは他の監督とは全く違いますね。それは恐らく、計算して言っているんじゃなくて、野球に対する本心から出ている言葉だからこそ、選手にもちゃんと伝わっていたし、結果的にチームワークに繋がっていったんだな、と、そう思いました。