バッタ捕りの思い出

表紙
現役時代、
中日ドラゴンズ、
西武ライオンズ、
千葉ロッテマリーンズで活躍した外野守備の名手・
平野謙さんの著書『雨のち晴れがちょうどいい。』が、本日発売された。
両親を早くに亡くし、姉と2人で金物店を営んでいた時代は、エッセイストの姉・内藤洋子さんが書籍にし、NHKのテレビドラマにもなっている。
波乱万丈の現役生活を経て、引退後の指導歴は、NPBのロッテ、北海道
日本ハム、中日をはじめ、社会人野球・住友金属鹿島、韓国・起亜タイガース、独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスと多彩。
そして2023年1月からは静岡県島田市のクラブチーム、山岸ロジスターズの監督になった。
これは書籍の内容をチョイ出ししていく企画です。
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「人を憎まず、自分を見捨てず」
僕がいつも色紙に書き添えている言葉です。悟りを開いたお坊さんみたいな言葉で、似合ってないとよく言われます。僕は人を憎むことはしょっちゅうだし、「どうせ俺なんて」と自分を見捨てることも多々あります。
これには先があり、「人を憎まず、自分を見捨てず、幸せな、幸せな人生を送ってください」となります。
僕が6歳のときに亡くなった父・政市の遺書です。当時、12歳、小学6年生だった姉の洋子に宛てたもので、本当はもっと長く、これはその結びでした。文才があり、戦争時、召集された軍隊で仲間と俳句を書いていたと聞いています。頭のいい人だったそうです。死因は肝硬変。酒もタバコもやらない人ですから、ウイルス性だったと思います。
最後は、ずっと入院していたこともあって、記憶の中のオヤジは、背は高いのですが、痩せて顔色が悪かった。でも、とても優しい顔をした人でした。唯一、病院以外での思い出は、4歳か5歳のときでしょうか。スーパーカブ(小型バイク)の後ろに大きな籠をつけ、その中に僕を入れて近くの庄内川にバッタ獲りに行ったことです。ぼんやりとした記憶ですが、なぜか今も覚えています。
遺書を書き残すくらいですから覚悟はあったのでしょう。おふくろ(志き枝さん)に隠して姉宛てに書いたものだそうですが、懸命に看病してくれているおふくろに、自分が回復をあきらめたように思われては申し訳ないと思ったのかもしれません。
無念だったと思います。まだ42歳。もっともっとやりたいことはあったと思います。おふくろと子ども2人の行く末も心配だったでしょう。
(続く)