『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第4弾、1961年編が発売された。その中の記事を時々掲載します。 
『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1961年編表紙
7月1日に15勝目
1961年編から11年連続20勝をマークした国鉄・
金田正一の話。この人の場合、20勝くらいではニュースにはならないが、結構すごいシーズンではあった。
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「今年のうちの内野陣はええで。われわれピッチャーは、とても投げやすい。この分なら国鉄は優勝するかもしれないな」
開幕前、2年連続最下位の予想が多かった国鉄だが、エースの金田正一はそんな予想を鼻で笑い、上機嫌で語っていた。
セカンドに
巨人から移籍の
土屋正孝、サードに
徳武定之、ショートに
杉本公孝と2人の新人が加入。砂押邦信監督の厳しい指導もあって、内野陣が見違えるように引き締まっていたからだ。
金田の予想どおり国鉄は順調に走る。4月30日に首位に立ち、一度3位まで落ちたが、6月半ばには再び首位となり「国鉄旋風」と呼ばれた。
「内野がポロポロやらんから体の調子も最上や。去年は梅雨で体がだるくなり、マウンドに上がるのも大儀だったが、今年は疲れ知らずや」
7月1日の
阪神(後楽園)に勝って15勝1敗となった金田がうん、うんと何度もうなずきながら話した。
砂押監督も「こんなにやってくれるとは思わなかった。この分なら20勝はもちろん、30勝も夢ではないよ」と称賛していた。
ところが7月上旬の集中豪雨でゲームが飛び飛びになったあたりから、好調だった打線のバランスが崩れる。さすがの金田も味方が点を取ってくれなくては勝てない。
7月8日の巨人戦(後楽園)では被安打2で0対1と敗れ、気分屋の金田をひどく腐らせ、そのあと2連続完投負け。
「それまでには20勝」と思ったオールスターまでに1勝もできず、その後も連敗街道が続く。
9月1日の
広島戦(後楽園)での完投負けで、ついに11連敗となり、20勝はもはや無理かと思われた。
11年連続300投球回以上
9月5日、巨人戦(後楽園)で完封勝利を飾り、久びさの16勝目。さすがにホッとした様子だった。
「貴重な人生経験をしたよ。毎日、新聞を見てもワシの連敗のことばかり。まるで連敗のお化けに追いかけられているようだった。結局、勝利にこだわり過ぎたんだな。勝とう勝とうとするから、ちょっとエラーや攻撃の不振が頭にくる。頭に来たら冷静なピッチングができないから、どうしてもポカ球を投げる。タバコを吸ったりやめてみたりとゲンを担いでみてもダメ。ええい、勝手にしろと思ったらやっと勝てた。口ではずいぶん強そうなことを言っていたが、本当はつらかったんだよ」
この勝利をきっかけに立ち直り、9月26日の広島戦(駒澤)で11年連続の20勝を達成した。
「やっと20勝や。勝ててよかったよ。それも完投(完封)やからな。連続20勝はワシの宿命みたいになったが、本当に今年はえらかった」
最終的には20勝16敗、防御率2.12。前年は勝ち星を欲しがり、他投手をリリーフして拾った勝利も多かったが、この年は正真正銘の20勝で、国鉄の創設以来初のAクラス3位の立役者となった。
「残念だったな。ワシがあそこで11連敗しなかったら国鉄は優勝していたかもしれん。それだけが心残りだ。日本シリーズを見ていて悔しくてたまらんかった。来年はなんとかひと踏ん張りして、なんとか日本シリーズに出てみたいもんや」
金田の11年連続20勝は入団2年目からだが、その間、すべての年で300投球回を超えている。まさに超鉄腕である。