クラウチングスタイルとパフォーマンス

パフォーマンス、プレーの両方でファンを魅了したクロマティ
長いプロ野球の歴史で、もっともインパクトがあった助っ人は誰か。実際、多くの助っ人たちがプロ野球を沸かせてきた。そんな中でも、昭和から平成にかけての7年間、
巨人でプレーしたウォーレン・クロマティの名前を挙げる人は多い気がする。昨今は環境さえ整えてしまえば全チームの試合をリアルタイムで観戦できるが、かつてプロ野球ファンでなくても、それなりにプロ野球のことを知っていた時代があった。テレビ中継の黄金期といわれるのが1980年代で、そのテレビ中継の中心にいたのが巨人。その巨人にいたのがクロマティだった。
在籍したのは84年から90年まで。1年目からインパクトは抜群だった。「もっと個性を出すべきだ。日本はみんな同じことをやりたがる」とはクロマティの言葉だが、実際、彼の存在感は、ほかの選手の誰とも違った。まずは極端なクラウチングスタイルの打撃フォーム。これが当時の野球少年たちを興奮させた。打てば相手の投手に向かって「ココ(頭)が違うんだよ」、外野席のファンとは一緒にバンザイ。これが巨人ファンの熱狂と相手ファンの反感を集めた。
クロマティの残したインパクトは、数字で他を圧倒した助っ人たちとは一線を画していたといっていいだろう。だが、残した数字も印象的だ。規定打席に届かなかったのは死球禍で離脱した88年のみ。このときもクロマティの離脱が“第3の外国人”呂昭賜のブレークを呼んでいる。翌89年には、「プロ野球で誰も達成したことがない打率4割を目指したい」と語って、有言実行。最終的には打率.378まで落としたものの、シーズン規定打席に到達した8月20日の
阪神戦(東京ドーム)終了時点では打率.401だった。そのまま試合を欠場していれば、プロ野球で空前絶後の打率4割バッターだったことになるわけだ。それでも首位打者のタイトルを獲得、MVPにも輝いている。
巨人のみの通算成績でも、171本塁打、558打点、打率.321(2000打数以上)は球団外国人“三冠王”だ。ちなみに、通算951安打も巨人の助っ人ではトップで、数字でも巨人の歴史で最強の助っ人ということになりそうだ。
写真=BBM