あの日のアルプススタンドで誓った決意

『侍ジャパン戦士の青春ストーリー 僕たちの高校野球3』
現役プロ野球選手たちの高校時代の軌跡を辿る『僕たちの高校野球』。待望のシリーズ第3弾となる『侍ジャパン戦士の青春ストーリー 僕たちの高校野球3』がベースボール・マガジン社から発売になった。ここでは掲載された7選手の秘蔵エピソードの一部を抜粋し、全7回にわたって紹介していく。
第5回は
ヤクルトの
中村悠平編をお届け。福井県屈指の名門高での日々はどんなものだったのか。
メモ魔だった高校時代
中村悠平が生まれ育った家は、県内北部にある700年以上の歴史を持つ永平寺の近くにあった。福井商高へは、そこから電車を乗り継ぎ、片道1時間。通うこともできたが、少しでも野球に時間を使いたいと中村は学校の近くに下宿をした。
ただ野球部は上下関係が厳しく、部員は各学年約30人、全体で90人ほどと多かったため、1年生が練習できる時間は限られていた。中村には不安しかなかった。
「軟式出身の僕にとっては、硬式のボールに慣れるのも大変でした。それこそバッティングに関しては、どうやって打てばいいのかわかりませんでした。公立校だったので、練習はしっかりと授業を終えてからの限られた時間しかなくて、こんなに
大勢の部員がいる中、自分の練習する時間はあるのかな、という不安もありました」
それでも練習や研究に人一倍熱心だった中村は、練習中に気づいたことはすぐにメモを取るようにし、夕食の時にはプロ野球の中継を見て、配球やリードを勉強するなど、時間を無駄にしなかった。
中村が1年の夏、福井商高は福井大会で優勝し、2年連続で夏の甲子園出場を決めた。甲子園では初戦で福岡高(富山)に8対1で快勝すると、2回戦では清峰高(長崎)に7対6。9回に3ランなどで一挙4点の猛攻にあったが、エースの池本大輔が踏ん張り、逃げ切った。
しかし、続く3回戦では「ハンカチ王子」で人気を博し、同大会で優勝投手となった
斎藤佑樹擁する早稲田実高(西東京)に1対7で敗れた。中村はアルプススタンドで応援しながら、その試合を見つめていた。
「次こそは、必ずこの舞台に上がる」
強い決意を胸に、中村は甲子園を後にした。
その秋、中村は1年生ながらレギュラー入りを果たした。「バッテリーを中心に守り勝つ野球」をモットーにしていた福井商高にとって、キャッチャーは最重要ポジション。中村には「キャッチャーで勝敗が決まる」というプレッシャーが常につきまとい、一時は食事も喉を通らなかったという。
「試合に出るたびに監督さんにもいつもこっぴどく叱られ、挫折を味わいました。いま思えば、それだけ自分に期待してくれていたからこそだったと思いますが、当時はそんな風に思う余裕はなくて、叱られるのが嫌で初めて「野球をやりたくない」とさえ思ったこともありました。
それでも当時の北野尚文監督にはよく「野球の技術と同時に、人間性も磨いていかないといけない」とずっと言われていたので、ここで腐らずに踏ん張らないといけないと思ったんです」。中村は野球をあきらめかった。
野球を楽しむこと

福井商高時代の中村悠平
2023年3月のWBCでは主戦捕手としてマスクを被り、4大会ぶりとなる侍ジャパンの世界一に大きく貢献したことは記憶に新しい。もともとMLBも好きでよく見ていたという中村にとって、WBCはまさに「夢の世界」だった。その世界の頂点にまで上り詰めた今回のWBCで、中村が一番に感じたことは「野球が楽しい」ということ。最後にこんな言葉を紡いでいる。
「高校で甲子園を目指す人、プロ野球を目指して高校に入る人、いろいろな目標を持って高校生活を送ると思いますが、とにかく野球を楽しんでほしいなと。
僕なんかが言うのはおこがましいかもしれないけれど、今回のWBCの経験で思ったのは、もともとはみんな好きで楽しくて野球を始めたと思うんです。でもだんだんと勝つことだったり、甲子園に行くことばかりになってしまう。もちろんそれも絶対に必要です。ただ、根底には野球が好きで楽しむということがあってほしいなと。それがあるからこそ、最後の夏を終えた時に「ああ、やり切ったな」という達成感が生まれるんじゃないかと」
明日は「
高橋宏斗」編です。