『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第5弾、1962年編が9月28日に発売。その中の記事を時々掲載します。 
『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1962年編表紙
ダウンスイングの弊害
今回はべースボールマガジン(月刊誌)に掲載された
千葉茂と
王貞治の対談から。1962年編には入りきれなかったものだ(抜粋)。
王が一本足打法で打撃開花したあとのインタビューである。遠まわしながらチーム方針であったダウンスイング批判にも聞こえるが、千葉はOBのレジェンドであり、入団時の二軍監督だけに、素直な言葉になったのかもしれない。
ちなみにダウンスイングは1961年、
巨人がドジャースキャンプに参加したあと、取り入れたものだ。
話はもともと王がアッパー気味のスイングだった、というところから始まる。
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王 やっぱりダウンスイングというあれで、上からバットを振り下ろすということ。だいたい下からバットを持っていくほうなんですけれども、上からということでやって、それがどうも腰を伴わないんですよね。手だけで上から持っていくような感じになって。それで去年ちょっと悪かったとおもうんですよ。
千葉 その弊害はいつ分かったの。
王 帰ってきてシーズンに入ってからインコースが打てないんですよ。こうやって振り下ろすんだからバットの構えたところから距離的には近いんですよ。だからいい当たりになるかと思ったんですけれども、みんなファウルになってしまう。それは手だけでいくからですね。で、詰まった当たりがフェアグラウンドに入ってみんな捕られちゃうんです。
向こうの人(ドジャースの選手)のはいい当たりで飛んでいたのに、どうしてかなと考えたら、それは結局あんまり上から上からを意識し過ぎて手だけ、上体だけで打っていたんですね。
それが去年の6月ごろでしたか、いろいろああだこうだやってみたわけです。今までの写真とかバッティングフォームを見たりして。そうすると当時やっていたバッティングフォームと比べてみると、僕らの場合だとどうしても左の肩が早く出るんですよね。
だからああ、これは上体だけで打っているんだなと思って、それから今度、その癖をなくすのに大変でした。
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少し強引かもしれないが、ある意味、ダウンスイングによって自分の打撃を見失いかけたことで、62年は
荒川博コーチの指導に素直に耳を傾け、あの一本足打法にチャンレンジしたと言ってもいいかもしれない。