球が消えた!

『猛虎二番目の捕手』表紙
11月7日、元
阪神-大洋のダンプさんこと、
辻恭彦さんの著書『猛虎二番目の捕手』。タイトルどおり1962年途中から1974年までの阪神時代のお話です。
大洋時代以降は、この本が好評ならそのうちまたと思っています。
以下はそのチョイ出し。今回は1年目(1962年)の秋季練習で初めて一軍に合流したときの話です。
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ブルペンでまず、
村山実さんから「おい、捕ってくれ」と言われました。
1球目が真っすぐでしたが、ゾワーッと青ざめ、そのあと首筋から背中にかけて冷汗がドバッと出ました。あまりの球威にミットが大きく跳ね上がりましたからね。
カーブもすごかったです。投げた瞬間、「あっ、すっぽ抜けだ」と思い、立ち上がりかけたら、ググッと曲がってきて、捕るのがやっと。村山さんも「こいつ、大丈夫かな」という顔になっていました。
そのあとのスライダーが一番の衝撃でした。捕ったつもりだったのに耳元をかすった。消えたんです! 今のピッチャーのスライダーは沈むけど、村山さんの球は沈まない。
球速もまったく落ちず、真横に滑るように曲がりました。プロ入り前は享栄商高、西濃運輸ともエースはアンダースローでしたし、二軍でもそんなすごい球を投げるピッチャーはいないから、びっくりしました。村山さんも怖くなったのでしょう。あわてて、「もういい。終わろう」と言われました。
次に声を掛けてくれたのが、
小山正明さんです。「そこの真っ黒な顔をしたキャッチャー、捕ってくれるか」と言われました。針の穴をも通すとも言われた制球力抜群の方で、「そこにミットを構えろ」と位置と構えを指示され、「構えたらじっとしとけ。動かすな」と言われました。
少しでも動いたら怒られたし、実際、構えたところに寸分たがわずボールが入ってきました。あんな経験は初めてです。
ただね、ミットを動かさないって、ほんと難しい。止まったところからではなく、動きを入れたほうが捕りやすいんですよ。だから今のキャッチャーは、捕球前、一度、ミットを落とすでしょ。
でも、小山さんだけじゃなく、昔のピッチャーはそういうキャッチャーをすぐ怒鳴りつけた。「動かすな!」って。仕方ないから、そこでいろいろ工夫するのですが、その話はまたあとにしましょう。最後まで読んでいただければ出てくると思います。
あのときの僕は、ミットが微妙に動くうえに、うまいこと捕球音をさせることができず、ブスッ、ブスッばっかりでした。結局、小山さんが怒ってしまい、「もういいよ。ヘタクソやな」と言われて終わりです。
小山さんは
山本哲也さんとバッテリーを組むことが多かったのですが、確かに哲さんは、ミットも動かさず、パシン、パシンといい音で受けていました。
完全に自信喪失です。泣きはしなかったが、泣きたいくらいでした。その夜はずっと考え込みましたが、結局、このキャンプでは二度と2人の球を捕ることはなく、だからそれ以上、深みにはまらなかったかなとも思います。