勝ったほうが「天皇杯奪還」

早大の主将・森田は慶大3回戦へ向け「必勝」を宣言した。1回戦では代打で今季初安打、2回戦[写真]は代打で投ゴロだった[写真=矢野寿明]
[東京六大学秋季リーグ戦第8週]
10月29日(神宮)
慶大4-0早大(1勝1敗)
勝ち点(2勝先勝)を取ったほうが優勝の早慶戦。神宮球場には1回戦を1000人上回る今季最多2万8000人の大観衆が集まった。
1回戦は早大が先勝し2020年秋以来のリーグ優勝へ王手。あとがなくなった慶大は2回戦で雪辱し、3回戦は勝ったほうが「天皇杯奪還」という展開となった。
早大には、2つの背番号に特別なこだわりがある。
正捕手は「6」。東京六大学野球は1959年春に背番号が制定されたが、早大で初めて「6」を着けたのは60年秋、球史に残る名勝負・早慶戦6連戦で逆転優勝を遂げた際の司令塔・野村徹氏(早大元監督)だった。
2021年に
岩本久重(現Honda)が「6」を着けて以降、22、23年は空位。22年春からは
印出太一(3年・中京大中京高)がマスクをかぶり、今春から不動の四番を担っているが、今秋も「27」だった。本当の意味で信頼を得るには、ハードルは相当、高いのである。
もう一つは、エース番号「11」。早慶6連戦を6試合中5試合で完投し、49イニング(3失点)を投げ抜いた右腕・
安藤元博(元東映ほか)が着け、伝説のエースナンバーとして昭和、平成、令和と受け継がれている。
21年に託された
徳山壮磨(現
DeNA)が卒業後、22年は春、秋とも誰も着けなかった。今春から背負うのは4年生エース右腕・
加藤孝太郎(下妻一高)だ。指定校推薦で入学してからコツコツと努力し、主戦となった昨春は防御率2位、秋は最優秀防御率の初タイトルを獲得。
小宮山悟監督が「早稲田のエース」として認める大黒柱となったわけである。
慶大1回戦。先発した加藤は初回から飛ばし、7回無失点と好投を見せた。前回優勝時の20年秋(当時1年生)はベンチに入っていたが、登板機会はなかった。今年の4年生はリーグ制覇を経験している最後の代。後輩につなぐ意味でも、ラストシーズンにかける思いは並々ならぬものがあり、早慶戦で体現した。
早大は5回裏に先制点を挙げ、加藤は完封ペースにも見えた。しかし、NPB通算117勝の百戦錬磨の小宮山監督は「1対0は、しびれる。長年のキャリアから疲労は相当ですから」と、7回裏の加藤の打席で迷いなく、代打を送った。8回途中から救援した三番手の右腕・
伊藤樹(2年・仙台育英高)が、1点リードの9回表に2失点で逆転を許す。だが、粘る早大は9回裏に劇的なサヨナラ勝ちを収めた。
エースに勝利をつけたい理由

早大の2年生右腕・伊藤は慶大1回戦で救援、2回戦で先発。3回戦もブルペン待機で、3連投を辞さない構えだ[写真=矢野寿明]
早大としては連勝で優勝を決めたいところだったが、2回戦で慶大にタイに持ち込まれ、決戦は3回戦へ。先発は中1日で、加藤が起用されることは間違いない。大学時代、第79代主将を務めた小宮山監督は、早稲田のエースの重圧を知るだけに「親心」をのぞかせた。
「昨日(1回戦)は、加藤の勝ちを消してしまった。何とか(3回戦は)早慶戦の勝利投手で終わらせてやりたい」
1回戦で救援、2回戦で先発して5回2失点で敗戦投手となった伊藤は、3連投も辞さない構えで「加藤さんの勝ちを奪ってしまったので、勝ちをつけさせたい」と力強く語った。
主将・森田朝陽(4年・高岡商高)は王手とした2回戦を前にして「今日、優勝しよう。(最後は)加藤が抑えて、マウンドに集まるんだ」と選手たちを鼓舞してきた。この日の歓喜はなくなったが「(3回戦で)絶対、加藤に勝ちを付けさせて、勝ちます」と宣言した。
指揮官、同級生、後輩から、そこまで思わせる加藤の人徳とは何か。安部球場で4年間、誰よりも汗を流してきた、練習量と実績でつかんだ背番号11だ。加藤が勝利投手となれば、リーグ戦通算10勝の節目である。森田主将は「全員で勝つ」と強調し、エースを中心に最高潮のボルテージで3回戦へと向かう。
文=岡本朋祐