どちらも最初はなぜか分からなかった

『猛虎二番目の捕手』表紙
11月7日、元
阪神-大洋のダンプさんこと、
辻恭彦さんの著書『猛虎二番目の捕手』が発売されました。タイトルどおり1962年途中から1974年までの阪神時代のお話です。
大洋時代以降は、この本が好評ならそのうちまたと思っています。
以下はそのチョイ出し。今回はまたまたあの人との話です。
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そうそう、あの年(1968年)、
江夏豊を怒らせたこと2度ありました。1つ目は僕はまったく悪くなかったと思うんですけどね。
6月4日、甲子園の大洋戦です。僕は延長10回裏2アウトで打席に入り、
高橋重行からプロで初めてのサヨナラホームランを打ちました。この試合、江夏も9回から登板し、2回をピシャリと抑えていたから勝利投手です。
実は、このときバットが折れて困っていたら、
西園寺昭夫さんがルイスビルの細めのバットを借してくれ、それで打ったんですよ。ありがたいことです。
でも、帰ってきたら誰も出迎えがいない。ベンチでみんな帰り支度です。昔はそういうことがよくありましたが、勝ち投手になった江夏くらいはいてほしいなと思いました。
しかも、そのあと普通なら江夏と2人並んで記者に話を聞かれるのですが、江夏がどこにもいない。おかしいなと思っていたら、帰り道、選手たちの行きつけだった『やっこ食堂』のおばちゃんに引き留められ、「江夏さんが『ダンプさんが余計なことをした』と怒っていたわよ」と言われました。
なんでかなと思って、はたと気が付いたんですが、あいつ9、10回と打者6人すべて三振だったんですよ。間違いなく、日本記録だった9連続奪三振を狙っていたのでしょう。それを邪魔されたと思って怒ったんだと思います。
でも、皆さん、そんなの僕に分かりますか。
ヘソを曲げると面倒な男なので、翌日、サヨナラを打って、勝利投手をプレゼントにした僕なのに、「すまんかったな」と謝ったら「おお」って言っていました。
8月の
中日戦(8日、中日)で、またしても怒られました。
8回一死で
江藤慎一さんが2ストライクからファウルチップした球がミットの土手に当たり、落としたときです。
ゆっくりだったので、右手をすっと出せば捕れたかもしれないのですが、うまく出せず、落としてしまいました。そしたら江藤さんがホッとしたような笑顔でボールを拾い上げて渡してくれ、マウンドでは江夏が「手を出せば捕れるやろ!」と怒っていました。
江藤さんは結局、セカンドの内野安打です。そのとき「なんで江夏はこんなに怒るのかな」と思ったけど、よく考えたら、江藤さんが三振なら14奪三振だったんですよ。
たぶん、江夏は日本記録の18奪三振を狙っていたのだと思います(それまでは阪急・
足立光宏の17)。
残り5アウトですから、全員を三振にしなきゃ届きませんが、自信があったのでしょうね。結局、江夏はそのあと三振を3つ足して16奪三振でした。僕が落とさなければタイまではいったことになります。