全盛期は大きな衝撃
坂本の前に巨人でショートのレギュラーを務めた二岡
今年の巨人で大きなターニングポイントは、遊撃の世代交代だろう。
坂本勇人が15年以上レギュラーで守り続けてきたが、新人の
門脇誠が台頭。シーズン終盤に門脇が遊撃に定着し、坂本は三塁にコンバートされた。
阿部慎之助新監督は来季も門脇を遊撃、坂本を三塁でスタメン起用することを明言している。
坂本は球史に残る名遊撃手だ。2012年に最多安打(173本)、16年に打率.344で首位打者、最高出塁率(.433)のタイトルを獲得。19年には球団の生え抜きの右打者で史上初の40本塁打を放った。20年に史上2番目に速い31歳10カ月で通算2000安打を達成。課題だった守備も年を重ねる度に技術を高め、ゴールデン・グラブ賞を5度獲得している。
坂本が遊撃のレギュラーを獲得したのは高卒2年目の08年。奪われた形になったのが、
二岡智宏(現巨人ヘッド兼打撃チーフコーチ)だった。
スポーツ紙記者は「実績で言えば坂本に劣るが、二岡さんの全盛期もすごかった。衝撃で言えば坂本に負けていない。肩が強くて打撃の飛距離も凄かった。逆方向にぐんぐん伸びる打球は二岡さんの代名詞。まさに天才でしたね」と振り返る。
高かった守備力
大卒1年目の1999年に打率.289、18本塁打をマーク。2年目の00年には9月24日の
中日戦(東京ドーム)でリーグ優勝を決めるサヨナラ弾を放った。大舞台に強く、02年に
西武と対戦した日本シリーズでは、第3戦で満塁本塁打を放つなどシリーズ史上初の3戦連続猛打賞を記録してMVPに。03年は打率.300で自己最多の29本塁打を放ち、14盗塁と攻守の中心選手として躍動した。大きな魅力は逆方向の右中間に打球が飛ぶことだった。07年は20本塁打中11本が右翼へのアーチだった。
打撃だけでなく、俊足を生かした守備範囲と強肩はずば抜けていた。同時期のセ・リーグに
宮本慎也(
ヤクルト)、
井端弘和(中日)と遊撃の名手がいたため、ゴールデン・グラブ賞は一度も獲得していないが、スケールの大きい守備で幾度もチームのピンチを救った。
球団OBで現役時代に名遊撃手として活躍した野球評論家の
広岡達朗氏は、「
長嶋茂雄監督時代、あるコーチがショートの二岡に『三遊間に打球が飛んだらレフトに向かって走れ。お前は足が速くて肩が強いから、そこから一塁で殺せる』とバカなことを言った。それを新聞で読んだ私は、長嶋に断った上で二岡に注意した。『打球には速い緩いがあるのに、のべつまくなしにレフトへ走ったらいけない。球に向かっていけ』。それからグングン守備がうまくなっていった。一度言えば、二岡はそれを信じてやる男である」と週刊ベースボールのコラムで高く評価していた。
コーチとして覇権奪回へ
31歳のシーズンまでに通算1099安打を積み重ねたが、勝負の世界は厳しい。故障で長期間離脱した08年に坂本に遊撃の定位置を奪われた形となり、同年オフに
日本ハムへトレード移籍。その後は下半身の故障で常時出場できず、13年限りで現役引退した。プロ15年間で1457試合出場、打率.282、173本塁打、622打点、48盗塁。通算1314安打が少なく感じてしまうのは、全盛期の輝きがまぶしかっただろう。現役引退後は巨人で指導者経験を積み、独立リーグ・富山の監督を経て再び巨人に復帰。三軍監督、二軍監督で若手を育て、来季から阿部監督をサポートするヘッド兼打撃チーフコーチに就任することが決まった。
今オフは秋季練習、秋季キャンプと殻を破り切れない
吉川尚輝の打撃フォーム固めに寄り添う姿が見られた。V奪回に向けて奮起してもらわなければいけないのは、吉川だけではない。門脇、
秋広優人は攻守でステップアップし、坂本も新たなポジションでチームの核になってもらわなければ困る。
現役時代に「天才」と呼ばれた二岡が指導者として、変革期を迎える巨人の覇権奪回に全精力を注ぐ。
写真=BBM