エースの自覚がみなぎる右腕

水戸一高の141キロ右腕エース・小川。昨秋の52年ぶりの県大会4強の原動力となった[写真=BBM]
第96回選抜高校野球大会の選抜選考委員会は1月26日、大阪市内で行われ、出場32校が決まる。一般選考枠は30校(明治神宮大会枠含む)、21世紀枠は2校。関東・東京地区の推薦校は1891年創部の水戸一高(茨城)だ。
昨秋の県大会では52年ぶりの4強進出。名門進学校の躍進の原動力となったのは141キロ右腕・小川永惺(ひさと、新3年)である。中央高との二次予選1回戦の途中から常総学院高との県大会準決勝の2回まで、30イニング連続無失点に抑えた。県大会準々決勝ではシード校・常磐大高を相手に完封(1対0)。自己最速を2キロ更新して、実力を示した。
2020年秋から母校を指揮する木村優介監督は「味方のエラーもあったが、そこから粘った。投球術、ここ一番の場面でのボールが素晴らしかった。エースの自覚がみなぎっていた」と、全幅の信頼を置く。
小川は言う。
「『ロースコアの試合』がウチのテーマで、そうでないと、強豪校には勝てない。とにかく1イニング、1イニングを必死に抑えた結果です。失点をしなければ、負けることはない。ピンチの場面で『最少失点ならOK』という声もありましたが、自分としては。ゼロで抑えることしか考えていなかった。その積み重ねが30イニングになったと思います」
特色選抜で難関入試を突破
世矢中時代に在籍した日立ボーイズでは控え投手だった。「二、三番手。出場するときはファーストでした。目立った実績はありません」。中学3年生だった2021年夏、水戸一高と日立一高の3回戦を観戦し「どちらかにしようかと迷っていたんですが、雰囲気が合う水戸一高に行こうと思いました」。両親は小学校の教員と、熱心な教育家庭に育った。父が水戸一高OBという背景も、同校志望の理由の一つ。特色選抜で難関入試を突破した。
水戸一高における特色選抜は硬式野球部のみが対象となっている。出願要件に満たした中学時代の活動実績が必要で、学力検査のほか、調査書、面接、実技検査で合否が判定される。スポーツ推薦ではなく、あくまでも、偏差値73と言われる県内トップの学力が問われる。
「一般入試と同じ点数を取らないと合格できない。もともと(野球の)実績があったわけでもなく、水戸一高に来て強くなりました。自分で考えて、自由の中に、一人ひとりが自立している。先生方が個人の考えを尊重してくれるから、人間的に成長できる。心の成長により、野球の技術も勝手に上がっていく」
1年春の公式戦からベンチ入り(背番号19)し、夏(同15)は登板機会に恵まれた。2年春からは背番号1を着け、同夏は多賀高との県大会3回戦で完封勝利(1対0)。豊富な経験値を武器に、昨秋の快投につなげた。
1年春からバッテリーを組む秋田悠人(新3年)は、小川の良さをこう分析する。
「仮に調子が悪い中でも、チームを勝たせる投球ができる、安定感が最大の強みです。ある球種がダメでも、他の変化球でカバーできる修正能力もある。ストレートの回転がきれいで、スピンして伸びてくる。前に飛ばさせない。スライダーは初回から9回までばらつくことなく、いつでもストライクが取れる。チームのエースにふさわしいピッチャーです」
得意のスライダーのほかカットボール、カーブ、チェンジアップが持ち球としてあり、春までには「手元で変化するボール、落ちる系の球種も習得していきたい」と意欲的だ。好きな投手は
オリックス・
吉田輝星。「小学生のときにテレビで見た甲子園でのストレート。あのキレと伸びが理想です」と目を輝かせる。
「大先輩方と同じ道をたどりたい」
甲子園への思いが燃え上がったのは昨夏だ。従兄にあたる日大山形高・鈴木一槙三塁手の試合を一塁側アルプスで観戦した。「想像していたよりもデカい。ここでプレーしたいと強く思いました。自分も負けていられない」。
小川は「野球は高校がゴールだと思っていた」と明かすが、昨秋の結果により、高校卒業後もプレーを続行したい思いが芽生えている。
「第一志望は早稲田大学です。東京六大学、神宮球場で投げたい。飛田先生(早大初代監督)、石井連藏さん(早大元監督)と、大先輩方と同じ道をたどりたい。水戸一高のユニフォームもエンジが基調ですが、この色が好きなんです」
木村監督は「心身ともに伸びシロがある。将来的には、150キロを超えてくるだけのポテンシャルがある」と素材に太鼓判を押す。178センチの数字よりも、マウンド上では大きく見える。はにかんだ表情はドジャース・
大谷翔平とそっくり。「以前からよく言われるんです。ものすごい選手。自分も良い方向に行けるよう、努力をし続けていきたいです」。
マウンドで心に誓うのは、同校OBで学生野球の父・飛田穂洲氏の「一球入魂」である。
「飛田先生が遺した言葉。水戸一高では大事にしています。『一球入魂』は個人個人、いろいろなところに当てはまる。目標は甲子園で勝つこと。センバツに選ばれたとしたら、ゲームに勝たないことには、自分たちの存在価値を証明できない。魂を込めて投げていく」
センバツ選考委員会の1月26日は、くしくも1965年に亡くなった飛田氏の命日である。
文=岡本朋祐