春のユマキャンプで

95年のリーグ優勝時、胴上げ投手となったブロス[左から2人目]
2021年からリーグ連覇を達成した
ヤクルト。23年は5位に沈んだものの、1993年を最後に遠ざかっていた連覇は、当時の黄金時代を彷彿とさせるものだった。
野村克也監督の“ID野球”が一世を風靡したのが、その90年代。94年は4位に陥落したヤクルトが、日本一に返り咲いたのが95年だった。このときのヤクルトは、
巨人とは対照的に、大金をはたかずに優秀な助っ人を獲得して、その活躍もあって頂点へと突き進んでいる。1人は
阪神を自由契約となった
トーマス・オマリーで、もう1人が春のユマキャンプでテストを受けて入団した
テリー・ブロスだ。
オマリーはファンも阪神でのプレーを知っていたが、ブロスは未知数。ただ、205センチという長身は、その存在を強烈にアピールするだけでなく、投球でも武器になった。巨人との開幕3試合目で初登板、5回1失点で勝利投手に。この日はオマリーも決勝打を放ち、野村監督も両雄に賛辞を送った。その後も快進撃は続く。特に巨人戦での圧倒的な強さを発揮しての5連勝、9月9日の巨人戦(東京ドーム)では外国人投手では3人目となるノーヒットノーランを達成。1死球のみの準完全試合で、リーグ優勝にはずみをつけた。
最終的には14勝5敗と大きく勝ち越して、防御率2.33で最優秀防御率に。MVPはオマリーに譲ったものの、ブロスもMVP級の活躍だったといっていい。
オリックスとの日本シリーズでも2試合に先発して2連勝。こちらもMVPに輝いたのはオマリーだったが、ブロスは優秀選手賞に選ばれている。
だが、翌96年から2年連続で開幕投手を任されたブロスだったが、2年連続で7勝にとどまって、負け越し。97年のヤクルトは2年ぶり日本一となったが、故障もあって満足な投球ができなかったブロスは、オフにヤクルトが日本シリーズで対戦した
西武へ移籍することになる。
これで再起を果たしたいところだったが、その後も成績は失速していき、98年の西武はリーグ連覇を果たしたものの、ブロスは2勝に終わった。翌99年も西武に残留しているが、一軍のマウンドに立つことなく、オフに退団している。
写真=BBM