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プロ野球現場広報は忙しかった。

1994年「10.8」決戦! 長嶋茂雄監督は「勝つ」を何回言ったのか?/香坂英典『プロ野球現場広報は忙しかった。』

 

巨人軍現場広報の香坂英典氏の著書「プロ野球現場広報は忙しかった。」がこのたび発売! その内容を時々チョイ出しします!

試合前夜の電話


『プロ野球現場広報は忙しかった。』表紙


 長嶋ジャイアンツの伝説と言えば、なんと言っても1994年『10.8決戦』だ。

 語り継がれる歴史に残る戦い。プロ野球史上初めて、勝率が同率同士の最終戦直接対決で優勝が決まる中日との決戦がナゴヤ球場で行われた。

「勝ったほうが優勝……」とつぶやいてみると、戦う当事者でない僕までが胸の鼓動を抑えきれず、緊張感に襲われた。

 これまで多くのメディアが取り上げてきたが、証言者たちの多くは「異様な雰囲気」「あまりよく覚えていない」という言葉を口にした。僕も例外ではなく、ところどころ記憶が抜けているというか、不思議な感覚にとらわれていたことを思い出す。

 前夜、巨人が無事優勝した場合の試合後の広報対応の準備などはすべて完了し、宿舎の自室でリラックスしていた。そのとき部屋の電話が鳴った。電話の主は当時の日本テレビ野球中継プロデューサー、田中晃さんだった。

「ホテルの近くにいて飲んでるんですけど来ませんか」と言う。

「いやぁ、お誘いはありがたいのですが、あしたがあるので……」と言うと、すかさず田中さんは「何を言ってるんですか! あしたは巨人が優勝するんですよ! 前祝いですよ!」と強い口調で言った。

 田中さんは、長嶋さんが監督就任前に日本テレビの世界陸上の中継でリポーターを務めた際、プロデューサーとして番組を手掛けた方でもある。そう、陸上100メートル決勝でゴールしたカール・ルイスを長嶋さんが「ヘイ! カール!」と呼び寄せインタビューをした、あの世界陸上だ(1991年)。

 田中さんは、のちに巨人戦野球中継のキャッチフレーズを『劇空間プロ野球』とし、プロ野球の舞台裏のファンに知られざる部分を積極的に紹介していくような番組づくりをした。誰よりも熱く、野球というエンターテインメントの持っている魅力をテレビで最大限に表現したいという情熱を持っている方だった。

 田中さんは、巨人が優勝することをまったくと言っていいほど疑っていなかった。究極のプラス思考者であり、頭の中は長嶋さんと同じく「勝つ!」の二文字しかなかったのだろう。僕はさすがに前祝いで酒を飲むような気持ちにはなれなかったが、予言者のごとく、近い未来がすでに見えているような田中さんの勢いに、ただただ圧倒された。

試合前、伝説のミーティング


 翌日、ホテル出発前のミーティング。長嶋監督が立ち上がって話し始めた。5分強、10分は掛からなかったと思う。残念ながら、異様な雰囲気の中で、監督の話の内容がなかなか思い出せない。

 ただ、監督の話が始まる前にふと頭を過ぎったのは「このミーティング、録音すべきだったか……」ということだ。しかし、準備をしておらず、それはのちのち大きな後悔になった。

 監督は自信にあふれていた。語り継がれている「勝つ、勝つ、勝ーつ!」の3連呼については、僕の記憶はちょっと違う。「勝つ」というフレーズを3回使ったのは覚えているが、単なる3連呼ではなく、「勝つ」と「勝つ」の間にはほかの文言が入っていて、3度目の最後の「勝つ!」は、より大きな声で強く叫ぶように言ったと記憶している。

 監督は以前、試合前のミーティングで「力を出し切れば、負けてもいいんだ」と言ったことがある。僕が知る限りでは、負けてもいいなんて言った監督は長嶋監督しかいない。「きょうの試合は勝つ!」と断言した監督も長嶋監督しかいない。

 ホテルの一室に、言葉では表現できない異様な雰囲気が漂っていたのを思い出す。

 長嶋監督の「勝つ!」の言葉は部屋の隅々までビリビリと響き渡り、その声を合図に一同が「よしっ!」と言って、ナゴヤ球場へ向かった。(つづく)
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