1995年、野茂英雄がドジャースでMLBデビューを飾ってから今年で30年目。野茂が道なき道を切り開かなかったら、多くの日本人選手がメジャーでプレーすることがあっただろうか。発売中の『週刊ベースボール』では野茂の功績をたたえ、あらためて「野茂英雄大特集」を掲載している。ここでは、野茂の代名詞である三振に関して近鉄時代、誰から最も多く奪ったのか見ていこう。 近鉄時代の奪三振ベスト10

トルネード投法で日本球界を席巻した野茂
1990年、ドラフト1位で近鉄に入団した野茂。トルネード投法からストレート、フォークを投げ込み、1年目から287奪三振でタイトルを獲得している。そこから4年連続タイトル奪取。NPB通算5年で1204三振を奪っている。
“ドクターK”野茂の通算奪三振ベスト10は以下になる。
1位 52=
秋山幸二(
西武ほか)
2位 35=
デストラーデ(西武)
3位 34=
清原和博(西武)
4位 31=
佐々木誠(ダイエーほか)
5位 28=
ウインタース(
日本ハム)
6位 25=
愛甲猛(
ロッテ)
7位 23=
平野謙(西武ほか)
7位 23=
石毛宏典(西武)
9位 22=
伊東勤(西武)
10位 21=
辻発彦(西武)
上位には対戦の多かった西武に在籍した選手が10人中8人を占めた。3位までは西武のクリーンアップを担った秋山、デストラーデ、清原。その中でも秋山がダントツの52奪三振。142打席の対戦だったので、2.73打席に1回三振を奪っていたことになる。最多は92年の17奪三振。この年は2.24打席に1回の割合だった。特に92年6月1日から8月16日の5試合では19打席で10奪三振。この間ノーヒットだった。
35奪三振のデストラーデも秋山とほぼ一緒の2.74打席に1回の割合で三振していた。90年4月10日の初対戦から92年5月10日の試合まで21試合連続で三振を奪った。一方、清原は4.50打席。野茂に対して1割台の打率だった秋山、デストラーデとは違い3割を打った清原は三振が少なかった。
40打席以上で三振の割合が一番低かったのは、西武の
笘篠誠治だ。112打席で10奪三振、割合は11.20打席。打率.276と高打率でも7位にランクインしている。もう一人、割合が10打席を超えている選手がいる。ダイエーの
山本和範だ。76打席で7奪三振。10.86打席に1三振の割合だ。ただし、山本の打率は.213ときっちり抑えている。
写真=BBM