元巨人軍現場広報の香坂英典氏の著書「プロ野球現場広報は忙しかった。」がこのたび発売! その内容を時々チョイ出しします! 広島渾身の先発予想かく乱にまんまとだまされる!

『プロ野球現場広報は忙しかった。』表紙
以下は現役選手を引退し、著者が巨人の先乗りスコアラーをしていた時代の話。予告先発がなかった時代、試合前にもさまざまな駆け引きがあったようです。
チームでは、小松さん以外のチーム付スコアラーが試合前に相手の先発投手の練習の動きをじっと観察している。
誰が先発するかによって、打線を変えるからだ。これは先乗りスコアラーの管轄ではないが、一度、相手チームの先発候補の試合前の練習をほかのスコアラーたちと観察したことがある。
場所は後楽園、相手は
広島だった。その年のシーズンの優勝候補にも名前が挙がっていた広島は攻守走のバランスの取れたチーム力があり、優勝の行方は事実上、巨人と広島の一騎打ちと言われていた。
第1戦は、左腕なら
大野豊さん、右であれば
北別府学と、登板間隔から言っても、どちらも先発できる状況だった。
球場の2階席にあるゴンドラ席に潜み、双眼鏡を手にこの2人を徹底的に目で追う。大野さん、北別府はともにグラウンド上にいた。すると大野さんはレフト側のブルペンへゆっくりと向かい、こちらから、その姿は見えなくなった。
1時間ほど経過したあと、大野さんがブルペンから出てきた。頭からバスタオルをかぶり、時折顔の汗を拭いながら、ブルペンから三塁ダッグアウト方向に向かってグラウンドの端をゆっくり歩いていく。スパイクは履いたままで、左ヒザから足首辺りに掛けて真っ黒な泥が着いており、まさにピッチングが終わったという様子だった。
一方の北別府は簡単なランニングと体操をするが、ブルペンには行かず、打撃練習の球拾いをし、試合の1時間くらい前に三塁側のダッグアウトに引き揚げる。2人の動きを見る限りでは「きょうの広島先発は北別府」というふうに見えた。
僕は先乗りのデータをすでにチームに預けていることもあり、お役御免と球場をあとにした。水道橋駅から乗った電車の車中で試合開始時刻ごろにラジオを聴き、広島の先発が大野さんだということを知る。
えっ? ジャイアンツは明らかに右投手の北別府を予想した左打者ばかりの打線が組まれていた。やられた……。
広島の先発予想かく乱のからくりは、のちに僕の耳にも入ってきた。大野さんはブルペンには入ったが、ピッチングはしなかった。後楽園球場のレフト側ブルペン内にはモニターカメラが設置されているが、広島はこのカメラにバスタオルを掛け、映像を遮断していた。
ピッチングが終わる程度の時間が過ぎると、大野さんは左ヒザから足首の辺りまでわざと泥を擦りつけ、水道の水を顔に掛け、バスタオルを頭からかぶり、あたかもピッチングをしたあとのようなそぶりを演出したというのだ。
広島の渾身の作戦だった。