阪神戦で好リリーフ

今季、リリーバーとして巨人のV奪回に貢献したケラー
10月16日からCSファイナルステージが始まる。巨人はファーストステージを勝ち上がった3位の
DeNA相手に本拠地・東京ドームで迎え撃つことになるが、短期決戦は勝つべき試合をきっちりモノにできなければ流れが変わってしまう。守護神・
大勢につなぐセットアッパーとして、大事な役割を担うのがカイル・ケラーだ。
昨年まで在籍した古巣・
阪神とシーズン終盤に熾烈な優勝争いを繰り広げる中、ターニングポイントになった試合が、9月23日の直接対決だった。敵地・甲子園での首位攻防戦で前日に0対1と敗れ、阪神が1ゲーム差に迫ってきた。2連敗したら阪神が一気に勢いづく。ケラーは0対0の6回から登板した。先頭打者の
大山悠輔にいきなり左中間二塁打を浴びたが、
佐藤輝明、
前川右京を156キロの直球でいずれも中飛に仕留めると、
梅野隆太郎も153キロ直球で三ゴロに切り抜けて無失点。1点をリードして回またぎした7回も三者凡退に抑え、移籍後初勝利を飾った。敗れた阪神はここから3連敗を喫し、万事休す。ケラーの快投が勝負の明暗を分ける形になった。
昨年までは阪神でプレー
2年連続Bクラスに低迷した巨人は、救援陣の強化が最大のポイントだった。力のある直球を武器に三振奪取能力が高い投手が欲しい。白羽の矢を立てたのが、阪神を自由契約となったケラーだった。阪神で2年プレーし、実力は把握していた。来日1年目の22年は開幕戦カードで打ち込まれてファーム降格を味わったが、8月に17試合連続無失点を記録して守護神に。昨年も11試合連続無失点をマークするなど27試合登板し、1勝1セーブ8ホールド、防御率1.71。8月途中に家庭の事情で帰国したためCS、日本シリーズでの登板機会はなかったが、阪神のリーグ優勝に貢献したリリーバーの一人だった。
巨人に移籍した今季は4月下旬に登録抹消されたが、約2週間後に再昇格するとシーズンの最後まで稼働した。52試合登板で2勝2敗1セーブ20ホールド、防御率1.53。投球の6割以上を占める直球の被打率.127という数字が示すように、最速160キロの直球は球速以上の伸びを感じる。カーブ、フォークとのコンビネーションで47回を投げて54奪三振。走者を得点圏に背負っても、ストライクゾーンに球威十分の直球を投げ込み、精神的なたくましさを感じる。阪神戦は最も相性が良く、6試合登板で1勝0敗1セーブ1ホールド、防御率0.00。
巨人と阪神に所属した助っ人

00、01年に巨人で2年連続2ケタ勝利をマークしたメイ
永遠のライバルである巨人と阪神。この両球団に所属した外国人選手は過去に2人いた。第1号が左腕の
ダレル・メイだ。阪神時代は闘争心が裏目に出て審判への暴力行為で退場を宣告されたり、当時の
野村克也監督と衝突するなど「問題児」というキャラクターだった。打線の援護に恵まれなかったこともあり、1998、99年と2年間の在籍で計10勝にとどまったが、巨人に移籍すると00年に12勝を挙げてリーグ優勝に貢献。翌01年も10勝と2年連続2ケタ勝利を飾り、メジャー復帰を求めて同年限りで退団した。ロイヤルズ、パドレス、
ヤンキースと渡り歩き、日米通算58勝をマークした。

巨人では本領発揮とはいかなかったアリアス
もう1人が、ジョージ・アリアスだ。
オリックスで2年間プレーし、02年に阪神に入団すると、03年に打率.265、38本塁打、107打点の大活躍で18年ぶりのリーグ優勝に貢献。打撃タイトルには手が届かなかったが、一塁でゴールデン・グラブ、ベストナインを受賞した。その後は04年限りで退団し、メキシカン・リーグでプレー。日本球界復帰を模索する中、故障者が続出していた巨人が獲得に動いて06年6月に途中入団したが、17試合出場で打率.167、2本塁打、5打点と結果を残せずに退団した。
助っ人外国人選手で史上3人目の阪神、巨人の両球団に所属したケラーは、31歳と脂が乗りきっている。温厚な性格で阪神時代からナイスガイとして知られ、巨人でもチームに溶け込んでいる。仲間たちと頂点を目指し、CSでも右腕を振り続ける。
写真=BBM