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「阪神の四番像は僕にとって田淵幸一」 野球殿堂入りの掛布雅之が阪神四番に望む心構え

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「自分のやってきた野球にウソはなかった」


掛布氏は野球殿堂入りの記者会見で「こういう場にいるとは考えてもしなかった。自分でもビックリしている」。入団テストからドラフト指名を受け、努力で一流選手へと這い上がってきた野球人生である[写真=高原由佳]


 1月16日。ミスタータイガース・掛布雅之氏はエキスパート表彰での野球殿堂入りを、自らに課せられた新たな「使命」と受け止めた。

 阪神淡路大震災から30年。能登半島地震から1年。被災地への思いを、持ち続けている。

「子どもたちを、街を笑顔にする活動をもっとやっていきなさいというメッセージ。新しい一歩を踏み出していきたいと思っている」

 習志野高から1974年ドラフト6位で阪神入団。「長嶋(長嶋茂雄)さん、王(王貞治)さんにあこがれ、千葉の田舎でオヤジと二人三脚で野球と向き合い、阪神の入団テストを受けた。昭和60年。巨人の監督は王さんで、四番・三塁の原辰徳に負けたくないと、巨人を倒して優勝し、日本一になったのはすごく良い思い出です」。タテジマ一筋で実働15年プレーし、四番として3度の本塁打王を獲得した。

 ゲストスピーカーを務めた原氏は、しみじみ語った。巨人と阪神。伝統球団を背負う「四番・三塁」はライバル同士だった。

「年齢は私の3つ先輩。学生時代からタテジマの若トラにあこがれておりました。孤高の天才。独特の雰囲気を持たれ、どんなときも動じず、喜ばず……。威風堂々とプレーしている。甲子園のスコアボードは上下に四番・三塁で掛布、原と表示。阪神に負けても、掛布さんには負けたくない。ともに歩んできた。野球界発展のために、同世代として頑張っていきたいと思います」

 喜びを口にした。

「阪神というチームにお世話になり、チームメート、球団のサポート、強烈な阪神ファンの声援がなければ、この場所にはいない。同じ打者としてイチローさん、王さんと肩を並べる形で殿堂入りできたことがうれしい。自分のやってきた野球にウソはなかった。オヤジを含めた家族に感謝しています」

チームの負けを背負う存在


かつてのライバルである巨人・王監督[左]、四番・原[右]に挟まれての記念撮影。1980年代のプロ野球を盛り上げた、ミスタータイガースだった[写真=高原由佳]


 四番のプライドがあった。

「田淵(田淵幸一)さんが西武に移籍する際に電話をもらい『江夏(江夏豊)と俺のように途中でタテジマを脱ぐような選手になるな。四番を打てよ』と。いまだに覚えています。田淵さんを見て野球をやってきたので、阪神の四番像は僕にとって田淵幸一なんです。ヒーローになったことよりも、チームの負けを背負っている姿を見てきた。四番はこうでないといけない。僕自身もそういう気持ちでプレーしてきました」

 そこで、四番像を現チームに重ね合わせた。

「森下(森下翔太)が四番を打つんじゃないかと言われていますが、そういう気持ちでチームを引っ張ってほしい。大山(大山悠輔)というフル出場した四番もいる。僕にとっての田淵さんのような存在に大山がなれれば、素晴らしいクリーンアップを作れるのではと思います」

 球団創設90周年。今季から藤川球児新監督が指揮する。掛布氏はエールを送る。

「阪神ファンが喜ぶのは優勝、日本一。藤川監督の中には(勝利への)シミュレーションができていると思う。今の阪神は、勝つチームとしての環境が整っている。もうすぐキャンプがスタートしますが、期待しています」

 今年5月9日で70歳。掛布氏は「野球界の底辺拡大」と、普及・振興の意気込みを語った。

文=岡本朋祐

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