2002年には当時プロ野球タイ55本塁打

規格外のフィジカルを生かして強烈な打球を放った
21世紀が始まるとともにプロ野球に登場した助っ人。その規格外のパワーは、21世紀となって四半世紀にもなる現在も色あせない。
西武、
オリックス、
ソフトバンクとパ・リーグ3球団で12年にわたりプレーした
アレックス・カブレラだ。
打席で背中をそらす独特の構え。助っ人の珍しいフォームは多くの野球少年たちがマネたが、カブレラの構えは当時の高校球児も取り入れた。ただ、さすがにパワーまでは届かなかった。来日1年目から圧倒的な飛距離の本塁打を連発。場外弾を放つと、平然と「180メートルくらいなら飛ばしたことがあるヨ」と語ってファンを驚かせた。1年目は49本塁打。飛距離だけでなく、その数で驚愕させたのが翌02年だった。
当時のプロ野球記録はシーズン55本塁打で、
王貞治(
巨人)が1964年に樹立、それに初めて
タフィ・ローズ(近鉄)が2001年に並んだばかりだったが、6月には腰痛での欠場もありながら、早々にプロ野球の頂点に並ぶ。自身は中堅から右方向へ打つ意識だったというが、55本のうち40本は左翼方向への本塁打で、これもパワーの証明といえるだろう。このカブレラの55本塁打もあり、西武はリーグ優勝。カブレラも本塁打王、MVPに輝いている。だが、日本シリーズでは巨人に4連敗。本塁打に関してはクールなカブレラが守備中に悔しさから座り込む場面もあった。
その雪辱を果たしたのが04年だった。ペナントレースでは死球禍で3カ月の離脱、ハイペースで打ちまくったものの25本塁打にとどまり、西武もレギュラーシーズンでは頂点に届かなかったが、導入されたばかりのプレーオフでレギュラーシーズン勝率1位のダイエー(現在のソフトバンク)を下して日本シリーズに進出、カブレラは第3戦(西武ドーム)で2ラン、満塁弾の2本塁打、第7戦(ナゴヤドーム)で2ランと3本塁打を放って、日本一に大きく貢献している。
西武の7年間で通算923安打、273本塁打、686打点はチーム歴代の助っ人では最多。プロ野球12年間の通算1368安打は全チームの助っ人で歴代7位、357本塁打と949打点は同3位として残る。
写真=BBM