歴史の終盤を飾った投手がズラリ

59年から5年間、近鉄でプレーしたミケンズ
プロ野球が2リーグ制となった1950年に参加して、2004年いっぱいで歴史の1ページとなった近鉄といえば、どうしても打って打って打ちまくる“いてまえ打線”のインパクトが強烈だ。一方で、近鉄の助っ人といえば、1980年代の終盤からドラマチックな活躍を見せた
ラルフ・ブライアントや、最後のリーグ優勝となった2001年に55本塁打を放った
タフィ・ローズが思い浮かぶ。いずれもプロ野球の歴史に残る助っ人の長距離砲。数字や貢献度など、甲乙つけがたい存在だ。
ただ、強打者ばかりが近鉄の助っ人ではない。なにかと打線がクローズアップされるチームにあって、“助っ投”たちの活躍も見逃してはならないだろう。以前、この連載でも近鉄の“助っ投”でセーブを残したのは3人だけということは紹介しているが、逆にいえば“助っ投”は近鉄ではスターターとして期待されていたということでもある。では、近鉄でプレーした歴代の“助っ投”たちの勝ち星を振り返ろう。ただ、ブライアントやローズが残した数字と単純に比較してはいけない(?)。
歴代3位に並んでいるのは3投手。いずれも歴史の終盤にプレーした投手たちで、ローズとはチームメートになる。14勝で並んでいるのが1997年の秋季キャンプでテストを受けて入団した
ロブ・マットソンと、2001年5月に入団して10勝、最後の優勝に貢献した
シーン・バーグマン、そして03年からプレーしてチームの終焉を見届けた
ケビン・バーン。この3人に大きく差をつけているのが01年6月に入団、翌02年に17勝で最多勝に輝いた
ジェレミー・パウエルで、04年までで通算43勝を残している。
そんなパウエルに僅差で1位となっているのが
グレン・ミケンズだ。パウエルら4人は“いえまえ打線”の援護があって投げていたが、ミケンズが入団したのは近鉄の愛称が「バファロー」となった1959年のこと。そんな時代にあって、1年目に11勝、2年目には13勝を残している。シーズン20勝を超える投手がゴロゴロいた時代でもあるが、この2年のミケンズはチーム最多勝でもあった。ミケンズは63年までの5年間プレーして、低迷する近鉄を支えている。
写真=BBM