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愛すべき助っ人たち

さよなら近鉄バファローズ…有終の美を飾り、分配ドラフトを経て4チームで投げたパウエル【愛すべき助っ人たち】

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Vイヤーはバーグマンの後塵を拝すも


2001年から4年間、近鉄でプレーしたパウエル


 近鉄がチームの歴史に幕を下ろしたのが2004年のことだ。もう20年を超える昔のことだが、当時を知るファンにとっては、その衝撃は今も鮮明だろう。最後のリーグ優勝となった01年。このとき55本塁打を放ったタフィ・ローズは03年オフに巨人へ移籍していたが、この04年のラストイヤーに在籍していた助っ人は5人いた。そのうち、最後の歓喜を知る唯一の助っ人がジェレミー・パウエル。21世紀の近鉄を最後まで支えた右腕だ。

 01年6月に入団。ただ、01年の投手陣でパウエルよりも貢献度が高いのは5月に入団していたシーン・バーグマンで、最終的には2ケタ10勝、翌02年には開幕投手を任されている。だが、その02年のバーグマンは4勝にとどまった一方で、エースに名乗りを上げたのが01年は4勝に終わっていたパウエルだった。4完封を含む17勝10敗、182奪三振で最多勝、最多奪三振。勝率.630もリーグトップで、最優秀投手にもなっている。

 バーグマンはチームを去ったが、パウエルは続く03年も12勝を挙げて2年連続2ケタ勝利。だが、その翌04年は近鉄が球界再編の荒波に巻き込まれる。ローズが去ったチームでパウエルは8勝にとどまり、近鉄はオフに“消滅”した。ただ、それまでの43勝、511奪三振は近鉄の助っ人で歴代2位の数字。歴史にifはないとはいえ、もし1年でも長く近鉄が存続していたら、パウエルが1位に躍り出ていたはずだ。

 1位にいるのは愛称にトレードマークの猛牛が登場した1959年から5年間プレーしたグレン・ミケンズで、通算45勝、546奪三振。一方、パウエルは分配ドラフトで近鉄の愛称を継承したオリックスへ移籍して14勝、160奪三振をマークしている。このとき、近鉄とオリックスで采配を経験していた仰木彬監督が就任して、登録名を「JP」としたが、そのオフには巨人へ移籍。登録名も元に戻している。

 巨人1年目も10勝を挙げて2チームにまたがる2年連続2ケタ勝利も、これが最後の輝きに。08年はオリックスとソフトバンクの二重契約問題が勃発、最終的にソフトバンクでプレーしたが、2勝に終わってオフに退団、帰国している。

写真=BBM

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