補充選手で球宴初出場

今年も30試合以上の救援登板を記録している船迫
荒れたマウンドに立ち続け、勝負の分岐点で強打者を封じ込める。首位争いを繰り広げる
巨人を縁の下の力持ちとして支えているのが、巨人の
船迫大雅だ。
33試合登板で2勝1敗14ホールド、防御率2.57。新人から4年連続30試合以上登板し、大きな故障なく稼働率が高いことも大きな価値がある。巨人の救援陣はセットアッパーの
田中瑛斗、
大勢、守護神の
ライデル・マルティネスがフォーカスされる機会が目立つが、船迫はもっと評価されていい投手だ。
今年は球宴にファン投票で選出されていた大勢が右肘関節痛のため辞退したことに伴い、補充選手として初出場を果たした。富山で開催された2戦目に全セの五番手として6回から登板して1回1安打無失点。大勢が過去の番組出演時に行っていたロジンバックを振り回すパフォーマンスを借り、球宴を盛り上げた。最速149キロの直球、球宴仕様の82キロの超スローカーブを織り交ぜて緩急差で盛り上げ、普段は鬼気迫る表情のマウンド上で白い歯がこぼれた。
「一番屈辱的な時間だった」
野球人生を振り返ると、挫折が船迫を成長させた。週刊ベースボールのインタビューで以下のように語っている。
「聖光学院高2年のときに、オーバースローからサイドスローに転向したのが一つの転機になったと思います。ブルペンでの投球練習中に斎藤(斎藤智也)監督から『サイドスローにしてみないか。最初は遊び感覚で投げて、合わなかったらいいから。サイドのほうが(出番が広がる)可能性はあるぞ』と助言していただいたのがきっかけです。自分の同学年投手は上手投げが多かったので。そこからはずっとサイドスローで大学、社会人、そして今に至っています。苦しかったこともたくさんあったんですけど、今はこの投げ方だからこそ、決して大きくない体で生きていけていると思っています。助言をくださった恩師には本当に感謝しています」
2年春のセンバツ、夏の甲子園はベンチ外だったが、3年夏はエースに飛躍して甲子園で史上初のベスト8に大きく貢献。東日本国際大に進学後も1年生から主戦として活躍し、南東北大学野球連盟リーグ戦では通算44試合で34勝を挙げ、4年時は春秋ともにリーグ戦のMVPに輝いた。
ドラフト候補と目されていたが、当日に名前が呼ばれることはなかった。「すごい悔しかった。大学まで生きてきた中で一番屈辱的な時間だった」、「寮にどうやって帰ったのか……。本当にその記憶もないんです。泣いた記憶しかない。それまでの野球人生を振り返っていて“なんで”“なんでなんだ”って自問自答をした覚えしかない」と振り返る。
昨年は自己最多の57試合に登板
社会人野球の強豪・西濃運輸に進み、ドラフトの指名が解禁された2年目以降もNPB行きが叶わない。野球を辞めることが頭によぎったが、周囲に励まされてパフォーマンスを高め、26歳の時にドラフト5位で巨人に指名された。
「プロ入りが遅いというのはあったけど、社会人で4年やってきたからこそ、若い人たちに負ける気はしなかった。技術とかうんぬんは関係なしに、自分はそれほどの経験をしてきたっていう自信もあった。プロという舞台に変わろうと、不安感はなくて“やれるだろうな”という気持ちで入った」
1年目からリリーバーとして頭角を現すと、2年目の24年に51試合登板で4勝0敗22ホールド、防御率2.37の好成績で新人王を受賞。キレ味鋭いスライダーが生命線だが、常にアップデートしなければこの世界で生き残れない。ツーシーム、
シュート系の球種の精度を磨き、昨年は自己最多の57試合に登板した。
船迫は「大学のときに(プロへ)入っていたとしても、活躍できたかと言われると、どうなのかなというのも正直、今プロの舞台を経験してみて思うところはある。それほど社会人の4年はすごく濃い時間だったし、勉強、経験を積むことができた。遅いプロ入りだったけど、その経験があったからこそ、今がある」とかみしめる。
シーズンは佳境に入る。負けられない試合が続く中、目の前の打者を抑えることに集中する。
写真=BBM