
どうですか!いい男でしょ
華麗なるデビュー!
さて、チラチラほのめかしつつ、ちょっと引っ張ってしまいましたが、いよいよ僕の華麗なる一軍デビューの話にいきましょう!
ドラゴンズ入団から2年間は、完全に二軍にどっぷり。ただ、くさることなく、“負くっか魂”でひたすら一生懸命やっていました。
3年目の1971年もやっぱり二軍スタートでしたが、突然、一軍に行けと言われて、6月半ばに昇格です。すべてあとで聞いた話ですが、就任から2年間結果を出せなかった
水原茂監督が、思い切った世代交代をしたかったようで、二軍の選手をリストアップし、その中に僕も入っていたようです。前年の70年途中からガンガン打ち出して、この年もファームでは絶好調でしたからね。
でも、二軍監督の
本多逸郎さんは「大島は、あと半年じっくり育てたい。我慢してください」と言っていたようです。「すぐ上げろ!」という水原監督と、かなり激しいケンカになったらしいです。
僕はまったく知りませんでしたが、当時の『週べ』の記事を見ると、このころ
中日の二軍はウエスタンで大独走していて、逆に一軍が最下位。「二軍のほうが強いんじゃないか」とか陰でからかわれて、水原さんはカリカリ来ていたようですね。
水原さんも勝負をかけていたんでしょう。僕の一軍初出場が6月17日の
ヤクルト戦(中日)ですが、代打じゃなくて、負傷で欠場したミラーの代わりに、いきなりスタメン一塁で使ってもらったんですよ!びっくりですよね。スタメンを言われたのも当日ですし、緊張というより、何がなんだか分からなかった、という感じです。
初打席で対戦したのは、アンダースローの
会田照夫さんです。試合というより、ベンチに入っていること自体が緊張でした。怖い顔したおっさん、いや、素晴らしい先輩選手が・・・
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