
どうですか、このファッション!球団のフロントには「ヒッピー」って言われたこともあります。知ってますか?
2人の名将の思い出
また、編集部のマイ担当さかもっちゃんがおかしな……いや、懐かしい記事を探してきてくれました。『週べ』の1971年8月19日号で、僕は、なぜか市川瑛子さんという女優さんと対談をしているんですが、その冒頭がねえ……。
ちょっと引用します。
市川:私、申し訳ないんですけれど、野球のことはあまり詳しくなくて……。
大島:じゃあ、帰ってもいいですよ(笑)。
やってますね、20歳の大島!
われながら、かなり調子に乗っています。仕方ないですよ、それが若さというもんです。
今回は僕が若手時代に出会った、球史を代表する2人の監督との逸話です。
1人目は入団当時の監督・
水原茂さん。僕が入った69年は水原さんの就任1年目でもあります。戦前の
巨人のスター選手で、監督としても戦後の巨人第2期黄金時代を築き、その後、東映でも日本一に導いた経験を持つ名将です。
実績もあるし、優勝を期待されての監督就任だったと思いますが、巨人V9のさなかでもあり、なかなか結果が出ず、3年目の71年は思い切った世代交代で勝負をかけようとしたようです。
水原さんには随分期待をかけていただき、打てない時期も我慢して使っていただきました。その間、いろいろと話はしたと思いますが、正直、あまり覚えていないんですよねえ……。
はっきり覚えているのは、2年目か3年目の明石(兵庫県)キャンプで、夜中に素振り用の大広間でバットを振っていたときです。だれもいなかったんで、豆電球一つだけで薄暗くしていました。そのほうが集中できますしね。
水原さんは、外での食事から帰ってきたんでしょう。部屋の前を通って、一言だけ、「カゼ引くなよ」と。たぶん顔は見えなかったと思うので、僕だと分かっていたかどうか知りません。そのとき以外は、ほとんど話しかけられた記憶がないんです。そのくらい雲の上の方でしたし、僕自身、グラウンドではそれだけ集中して、ガムシャラにやっていたんだと思います。当時のことは、ほとんど忘れてますからね。
話をもう1人の名将の話に移します。それが前回一軍で颯爽デビューを飾った話の・・・
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