
73年は、バッティングについていろいろ悩みましたが、あとで振り返ると、いい経験だったと思います
日本人野手メジャー第1号?
今回は、前々回で触れた僕の初めてのアメリカ経験からいきましょう。
1972年秋、サンフランシスコ・ジャイアンツの教育リーグにウォーリー(
与那嶺要監督)、
森下正夫コーチ、
谷沢健一さん、
島谷金二さんと行ったんですよ。
向こうの連中は体もでかいし、打球もすごい。一番驚いたのは、肩の強さです。外野からの返球はすさまじかったなあ。コントロールはデタラメなヤツもたくさんいましたが、身体能力の高さに圧倒されました。すぐメジャーに上がったけど、のちにドジャースの三塁手として活躍するロン・セイもいましたね。
そこで僕のすさまじいスイングを見て、メジャー関係者が色めき立ちましてね。「ぜひウチに来てくれ」と続々。お、このまま行けば、野手の日本人メジャー第1号か……?
すいません、そんなことはまったくありませんでした。途中でかかとをケガしてしまい、半分以上は帯同しながら治療です。ロッカールームにあったバブルのバスにずっと入っていました。情けないね。
最初は、しっかり練習もさせてもらいましたよ。向こうの打撃コーチには「バットを寝かせて打ちなさい」と言われました。名前は忘れたけど、ニックネームは覚えています。“ビッグノーズ”。要は、大きな鼻ですね。現役時代は有名な選手だったらしいですよ。
YES! と言いながらも葛藤はありました。僕は、三振しても拍手が起こるようなフルスイングが特徴だったし、自慢でもあった。実際、当たれば遠くまで飛びますしね。ただ、確かに確率は悪い。以前からウォーリーには「コンパクトに振ってもホームランも出るし、アベレージも上がるよ」と言われていました。
バットを寝かすということについて・・・
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