
“ヘディング”の後で頭をかかえる宇野[右]とあわてている僕
隠れた僕の好プレー
前々回、お話ししたとおり、交通事故の後、マスコミの「大島限界説」と、トレーナーの「動体視力が落ちたら3割打てない」という発言に「負くっか!」となって、2度目の全試合出場を果たし、3割を打ったのが、1981年でした。
この年に、ドラゴンズの監督に就任したのが
近藤貞雄さんです。初めて一緒のユニフォームを着たわけではなく、長く投手コーチもされていた方ですが、それ以前は、ほとんど交流はありませんでした。どうしても投手と野手は別々になりますからね。以前書いた
稲尾和久さん(西鉄の大投手で、78~80年
中日のコーチ)とも、交流は主に酒の席でした。
今回は、この近藤さんの話をしようと思ったんですが、81年というと、あの大バカの「ヘディング事件」があった年ですよね。日本中を沸かせた事件ですし。書かないわけにはいかんでしょ!
まあ、“大バカ”は、ほんの少しだけ、かわいそうですね。僕の後輩で出身は千葉。大島には及びませんが、ドラゴンズが誇る右のホームランバッター、
宇野勝です! 84年にはホームラン王にもなっている大型ショートですが、このヘディング事件は、フジテレビの「珍プレー好プレー特集」で有名になり、結果的には、球史に残るプレーになってしまいました。テレビは、ほんと怖いですね。
あれは・・・
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