ホーナーの赤鬼旋風からゲッツ! のラミちゃんまで、よみがえる懐かしの外国人選手たち。地上波テレビの野球中継で観ていた愛しの外国人50選手のさまざまなエピソードを描いた『プロ野球助っ人ベストヒット50』(ベースボール・マガジン社)が3月2日に発売される。ここでは番外編として1996年巨人に入団も、わずか2カ月の在籍でチームを去ったジェフ・マントを取り上げる。 キャンプでは高評価だったが……

96年、オリオールズから巨人に加入したマント
1996(平成8)年5月27日の月曜夜、ブラウン管の向こう側からSMAPが歌う「BEST FRIEND」が流れていた。
フジテレビ系列『SMAP×SMAP』で、メンバーの森且行がオートレーサーになる夢を追って脱退するため最後の番組出演。白いスーツ姿の6人はSMAPメドレーを歌い、リーダーの中居正広は親友の旅立ちに号泣した。
なお熱烈G党の中居君だが、同じ頃に巨人でも低打率に喘ぐ新助っ人との別れがあった。ジェフ・マントだ。開幕直後にナベツネさんの平成球史に残る迷言「とにかくマントが悪い。クスリとマントは逆から読んだらダメ」と言わしめたあの助っ人である。31歳で推定年俸1億5000万円、ペンシルベニア州出身の長身イケメン内野手は、「オリオールズであのカル・リプケンの横でサードを守り、95年にはメジャータイ記録の4打数連続アーチを含む17本塁打を記録したスラッガー」の高い前評判で来日した。
阪神時代の
新庄剛志が表紙を飾る『週刊ベースボール』96年3月4日号には、『新助っ人ここに注目』特集において「マジメで練習熱心、そして何よりクレバーな頭脳の持ち主!! V奪回のカギを握る「ジェフ・マント」という男」が掲載されている。「若手への切り替えを図っている長嶋巨人にあって、誰もが首をかしげたキャンプ直前の助っ人三塁手獲得劇」だったが、キャンプイン後に「左にも右にもオーバーフェンスできる天性の長打力、そして頭を使ったプレースタイル」と評価が急上昇。紅白戦では
木田優夫からレフトスタンドへ弾丸ライナーの初アーチをかっ飛ばし、打撃投手やボール拾いの学生などにも、覚えたてのたどたどしい日本語で「ドウモ、アリガト」と頭を下げるジェントルマンだという。
あの
クロマティと同じ背番号49を背負う新戦力に、評論家の
谷沢健一氏も「横浜の
ロバート・ローズに似た柔らかい打撃で打率2割8分~9分、ホームラン25本はいける。三塁守備を見る限り、やっていける許容範囲内で、これが1億円ちょっとの買い物なら掘り出し物だと思います」と絶賛。
長嶋茂雄監督は「彼はテンプル大卒で頭がいい。我々ボンクラじゃ入れません」となんだかよく分からない褒め言葉を送り、それに対してマントも刑法専攻の秀才よろしく「自分のセールスポイントは頭を使った野球」と謎のインテリ・アピール。
ヤクルトの野村ID野球に対抗すべく秘密兵器は、「監督のナガシマさんがたくさんの外国人選手を見てきて、いろいろなものに慣れるのに時間がかかるだろうと理解してくれている」なんつって、爽やかにニッポンの新たなボスとの円満な関係を強調した。
実はオフに代理人が
中日、
西武、巨人の順にマントのビデオを持って売り込むも、中日からは打撃に穴が多いと門前払い、西武も左打者がほしいのでと断られ、巨人だけが交渉に応じたことが明らかになるのは、もう少しあとのことだ。
開幕10試合目でスタメン落ち

キャンプでは力強い打撃を見せていた
オープン戦が始まるとその高評価は一変する。日本人投手の攻めや不慣れな人工芝での三塁守備に苦しむ新助っ人を横目に、前年4本塁打の期待の若手・
吉岡雄二が1試合2発の活躍を見せ、一塁ではなく三塁で吉岡を使えという声が日に日に大きくなるのだ。週ベ『96オープン戦あらかると』にも「マント不用の春 連日スーパー打撃を披露する吉岡を一塁手で起用する巨人のフシギ」という記事が確認できる。結局、吉岡はマント獲得のあおりを食らい出場機会を失い、このオフに近鉄・
石井浩郎の交換相手として
石毛博史とともにトレード移籍。やがて長距離砲の素質が開花すると、2001年には26本塁打を記録し、“いてまえ打線”の一角を担い近鉄最後の優勝に貢献したのだから、逃した魚は大きかった。
マントは阪神との開幕戦こそ「七番・三塁」で先発出場するも、そこから21打席ノーヒットで、ペナント10試合目に
長嶋一茂にポジションを奪われスタメン落ち。春季キャンプで「ローズになれる」と絶賛されたスラッガーは、たったの出場10試合で27打数3安打の打率.111、1打点、本塁打なしという悲惨な成績に終わり、4月23日に遠征先の宿舎で長嶋監督に呼び出される。そして、「いま、巨人にはどうしても抑え投手が必要だ。そのために、君が解雇の対象になってしまった」と抑え候補
マリオ・ブリトーの獲得に伴い、あっさり2カ月の在籍でクビになってしまうわけだ。この年の長嶋巨人は、開幕ロケットスタートに失敗して4月に借金5と出遅れ、ミスターも「ケネディ宇宙センターから発射された第一次ロケットはフロリダ沖の青い海の中に消えてしまいました」なんて嘆きつつ、逆襲に向けて素早く動いた(結果的にこの決断が秋の逆転V“メークドラマ”へと繋がる)。やはり外国人選手の前評判と学生時代の偏差値はまったくあてにならないという教訓を残し、マントは東京を去った。
なお、94年には3A級のインターナショナルリーグでMVPに輝き、帰国後は数シーズンにわたりマイナーで一定の成績を残していることからも、もう少し我慢してファーム調整させていれば……という声が挙がったことも付け加えておきたい。
「彼女にも車を買ってやらなくちゃ」
ちなみに来日前のマントの年俸は、10万9000ドル(約1200万円)である。それが巨人ではプレーする前から一気に年俸1億5000万円へと跳ね上がり、ハングリーさは失われた。帰国後、ボストン・レッドソックス傘下の3Aポータケットでプレーしているところを『週刊現代』に直撃取材され、「巨人には感謝の気持ちでいっぱいだよ」とご機嫌に語ったテンプル大卒の男。球団都合の解雇のため給料は全額保証され、毎月25日に巨人から振り込みがあるという。「春季キャンプはいい思い出になっているね。アメリカのキャンプが“調整”なら、日本のそれは“訓練”という感じだな」なんてすでにあの頃の思い出感覚で3カ月前のキャンプ体験を分析。日本で稼いだ“1億5000万円のビッグボーナス”の使い道についてトンマじゃなくて、マントはこう明かしている。
「カネの使い道かい? ロールスロイスの新車を買ったばかりさ。それと今、ニューヨークの郊外にワイフが新居を物色中なんだ。そっちに引っ越したら、彼女にも車を買ってやらなくちゃ」
文=中溝康隆 写真=BBM 『プロ野球助っ人ベストヒット50』ご購入はこちらから! 【著者紹介】
中溝康隆(なかみぞ・やすたか)
1979年埼玉県生まれ。ライター。2010年開設のブログ「プロ野球死亡遊戯」が話題に。『週刊ベースボールONLINE』の連載コラムを担当。「文春野球コラム2017」では巨人担当として初代日本一に輝く。著書には『プロ野球死亡遊戯』『
原辰徳に憧れて』『令和の巨人軍』『現役引退――プロ野球名選手「最後の1年」』など。