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岩田稔『消えそうで消えないペン』

落ち込んだ心に効く一曲は? 元阪神・岩田稔のどん底脱出法<連載第2回>

 

猛虎一筋16年、2021年シーズンをもって引退した岩田稔(現阪神CA、株式会社 Family Design M代表取締役社長)のあがき抜いた最後の数年。戦力外通告を受け止め、セカンドキャリアを見つけるまでの葛藤と信念とは。引退後初の自著『消えそうで消えないペン 1型糖尿病と共に生き、投げ切ったからこそ伝えたいこと』(ベースボール・マガジン社刊)より一部抜粋してご紹介する(全6回の2回目)。

鳴尾浜に向かう車で泣きながら熱唱


2021年10月1日、引退会見で号泣する岩田


 現役終盤は3人組ボーカルユニットのベリーグッドマンにも何度となく心を救ってもらいました。

 もともとは網川翼トレーナーとつながりがあって、翼さんと食事をした席で紹介してもらったのが最初の縁。

 それ以来、ライブにお邪魔させてもらったり、一緒に痛飲させてもらったり、甲子園の登場曲に使わせてもらったり……。もう10年近く仲良くさせてもらっています。
 
 ベリーグッドマンの曲には飾らないストレートな歌詞が多くて、プロ野球選手にもファンは多いと聞きます。広島時代の前田健太が早い段階から登場曲に使用していたことでも有名ですよね。

 僕が初めて行かせてもらったライブは、確か大阪城公園横にある「もりのみやキューズモールBASE」での野外ライブ。

「どの曲もめちゃくちゃ元気が出るな!」

 僕も含めた家族全員が一瞬で大ファンになったことを今でもはっきりと覚えています。

 本当にどの曲も大好きです。『コンパス』に『ウグイス』、『ベリーグッド』……。

 中でも『ライオン』という曲には、これまで一度も話してこなかった恥ずかしい思い出があります。
 
 あれは2016年だったか、2017年だったか。とにかく自分の心が病みに病んでいた時期の話です。
 
 甲子園の一軍ナイターで打ち込まれて、その日のうちに二軍降格が決定。翌日、早朝から車で二軍本拠地の鳴尾浜球場に向かっていたときのことです。車中で『ライオン』を流していると、急に涙が止まらなくなったのです。
 
 このままでは終われない、もう次のスタートは始まっている、そんな内容の歌詞が心にグサグサと突き刺さってしまって、最後は号泣しながら熱唱です。鳴尾浜に到着すると真っ先にトイレに向かって、真っ赤に腫れた両目を必死で洗い流しました。
 
 現役中は弱みを見せるのが嫌だったので明かしたことがありませんでしたが、こんなふうにベリーグッドマンのおかげで前を向けた回数は数え切れないほどあるのです。

プラス思考にマインドが変わる


 不思議なものです。
 
 2016年から2017年にかけて本気で戦力外通告を覚悟したあと、僕は大抵の事象に動じなくなりました。

「クビになったらどうしよう……」

 そんな不安を乗り越えると、今度はポジティブなマインドを自分に落とし込めるようになったのです。

 そもそも僕には高校2年冬に1型糖尿病を発症した直後、「死」の恐怖に直面した経験があります。
 
 あのときの絶望感を思い出せば、どれだけ苦境に立たされたときでも「まだまだなんてことはない」と前を向けることに気づいたのです。

 そのうえ、僕には全力で支えてくれる家族や仲間、ファンの皆さんもたくさんいる。自分がどれだけ幸せ者なのかという事実を再認識したことで、クヨクヨしている時間がどれだけ無駄なのかを理解したのです。

「いつクビになっても悔いがないようにやり切ろう」

 目の前の練習やゲームにより一層集中できるようになると、今度は周囲のザワつきもまったく気にならなくなりました。

 一軍での登板機会が激減した2016年以降、僕の耳には何度となくトレードのウワサが届くようになっていました。

「あの球団が岩田を狙っているらしいよ」

「交換相手はあの大砲らしいよ」

 出どころや真偽は不明ながら、実際にネットニュースなどで報じられることも一度や二度ではありませんでした。
 
 もちろん、最初の頃は少なからずショックも受けました。

「あっ、オレはもう“いらん子”なんや」

 でも、しばらくするといちいち反応している自分が馬鹿らしくなってきて、プラス思考を追求するようになりました。
 
 もしウワサが本当だとしたら、まだ自分を欲しいと思ってくれている球団が存在しているということ。それはそれでありがたいことですからね。
 
 結局のところ、たとえ事実がなんであろうと、僕には投げる試合で結果を出し続けることしかできません。

「今日も“就活”頑張ってくるわ!」

 二軍戦の登板前にそんな冗談を飛ばせるようになった頃には、後ろ向きな感情を心の中から完全に排除できるようになっていました。

 ちょうどそんな時期だったか、僕は知人からいただいた1枚の色紙を自宅に飾るようにもなっていました。
 
 京都大仙院、尾関宗園住職の説教が記されたもの。「人生とは毎日が訓練である」で始まる教えは最後にこう締めくくられていました。

「今ここで頑張らずにいつ頑張る」

 この言葉も胸に、すでに心のどん底を脱しつつあった僕は、今まで以上に1日1日を大切に過ごすようになっていきました。

 2018年に突入すると、僕を取り巻く状況はますます悪化していきました。一軍沖縄宜野座キャンプ中の実戦で打ち込まれるケースが目立ち、2月いっぱいで二軍降格が決定。3月には下半身の張りで戦線離脱を余儀なくされ、二軍での実戦復帰も4月中旬までズレ込みました。
 
 それでも僕の心が揺れ動くことはもうありませんでした。

「死ぬこと以外はかすり傷」

 数々の挫折を経験する中で、少しは強くなれていたのかもしれません。

 目の前の練習メニュー、試合の1球1球にだけ集中。落ち着いて二軍戦で好投を積み重ねていると、6月28日DeNA戦でシーズン一軍初登板初先発の機会が巡ってきました。この一戦で5回3分の2を1失点と粘り、3番手で登板した尊敬する先輩、能見篤史さんのプロ通算100勝につなげられたのはうれしい思い出です。

写真=BBM
©阪神タイガース

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