3連覇をめざすオリックスが今年も上位で戦っている。投打ともに力を発揮し、雰囲気も明るい。チームを21年、22年とコーチ兼任投手として支えた能見篤史さん(元阪神、オリックス)は、選手たちから絶大な信頼を得てきた。能見さんはどんな場面で、どんな言葉をかけていたのか。6月に刊行された初の自著『#みんな大好き能見さんの美学』(ベースボール・マガジン社刊)より抜粋しご紹介しよう。今回は、山岡泰輔への言葉。 寂しがり屋の“かまってちゃん”

山岡に対して能見氏は手綱を締めるように接していたという
22年シーズン、ずっと一緒にキャッチボールをしたのが山岡です。左投げの人とやりたかったみたいで、「もし相手がいなければお願します」と彼から声をかけて来ました。左投手とキャッチボールをした年に成績がよかったらしく、ゲン担ぎですね。
22年は6勝8敗と負け越しましたが、防御率は規定投球回未満ながら2.60と安定していたので、一応、役目は果たせたと思います。
ちなみに、僕はゲン担ぎやルーティン的なことはしていませんでした。気にするのが嫌だったので。球場が変わればブルペンもロッカーも変わりますし、遠征先によって枕も布団も変わる。そんな環境で決め事があると大変でしょう? だから何事も臨機応変に、と考えていました。
山岡に対しては、どちらかといえば手綱を締めるように接していました。
金子千尋や
西勇輝(現・阪神)といった自由奔放な先輩たちを見て育ち、レベルが違うのに、一緒になってのびのびとやってきたところがあると聞いていたからです。
僕と同じ社会人野球出身で、ルーキーイヤーから活躍。3年目には開幕投手を任され、2ケタ勝利を挙げて最高勝率のタイトルまで獲得しました。チームからは相当、期待されていたと思います。
ところが20年、21年といずれもケガで途中離脱。21年9月には右ヒジの手術もしました。日本シリーズには戻って来てくれましたが、こうハッパをかけたのを覚えています。
「お前、来年ちゃんとせんかったら、ぶっ飛ばすからな」
彼は寂しがり屋で、基本的にだれかと一緒にいたい“かまってちゃん”。このくらい強めの言葉で、でも冗談交じりに言うのがいいタイプなのです。
写真=BBM ■書籍『#みんな大好き能見さんの美学』ご購入はコチラから