
令和の時代にはかつての王のような技術と力を兼ね備えた選手に出てきてもらいたい
平成の間に野球界から失われたものがある
平成の時代が間もなく終わりを告げようとしている。私のような昭和の人間にとっては、こと野球界に関して言えば、平成の時代にあまりいい思い出はない。
もちろん平成の野球界にも
イチロー(元
オリックスほか)や
大谷翔平(エンゼルス)など、たくさんの素晴らしい選手たちが生まれてきた。だが、プロ野球全体を見渡せば、昭和の野球にあった“浪漫(ろまん)”が消えていった時代でもあった。ピッチャーとバッターが平等な条件で、力と力だけでなく、技術と技術をぶつけ合う。そんな真剣勝負の中からしか“浪漫”は生まれない。
前回も書いたが、その理由の一つは打高投低にある。誰が見ても「ああ、自分たちにはマネができないな」と思わせるプレーを見せるのがプロ野球選手の使命であり、それが野球少年・少女たちに夢を見せるということでもある。それが今は、「これだったらちょっと上半身に力をつけて、バットをボールにぶつければ自分でもホームランを打てるかな」とアマチュアの選手たちに思わせてしまうような野球になってしまった。技術よりも、力ばかりに目が行ってしまっている。
4月6日は全6カードで22本ものホームランが乱れ飛んだ。しかも、こすったような打球が次々とスタンドに飛び込んでいった。確かにその瞬間は面白いと感じるかもしれないが、これでは引き締まった野球、固唾をのんでゲームに引き込まれるような本物の野球がどんどん失われていってしまう。
平成の時代の少し前からではあるが、ドーム球場が次々と生まれ、人工芝も増えていった。どちらも功罪相半ばするものではあるが、野球界を進歩させた素晴らしいものであることは事実だ。だが、風の影響もなくボールが飛んでいくドーム球場、打球スピードが増す人工芝。それを良しとしていいのか。すべてがバッター有利に働いている。
一方で、これだけの打高投低の平成時代に三冠王となったのは
松中信彦(元ダイエー・
ソフトバンク)ただ一人。
王貞治(元
巨人)の55本塁打は破られたが、下位打線の非力なバッターが20本塁打を打つ時代だ。70本くらい打つ本物の四番バッターが出てこないほうがおかしい。
ボールが飛ばなかった昭和の時代にワンちゃん(王)は2位と19本差の55本塁打を放ち、私が打率.383を打った1970年のパ・リーグの平均打率は.246、セ・リーグは.234だった。それが昨年はセが.259、パは.254だ。かつてのように3割を打てば一流と言える時代ではなくなっている。3割を打ってもゴルフで言えば予選を通過したくらいのものだ。それにもかかわらず、3割バッターの数が増えているわけではないし、飛び抜けた存在がいるわけでもない。
ピッチャーもピッチャーだ。飛ぶボール、狭い球場、人工芝などに迷惑しているのは間違いないが、それでも14勝、15勝程度で最多勝だと言われても、決して胸を張れるものではない。もちろん時代が違う、ピッチャーの起用法が今とは違うことは分かった上で書くが、42勝した
稲尾和久さん(元西鉄)、38勝4敗を記録した
杉浦忠さん(元南海)は、ただたくさんの試合に投げ、ボールが飛ばなかったから数字が残せたわけではない。体力強化、自己管理、そして技術を磨き続けたからこそだ。
一方で、不幸なことに酷使された。今のように中5日、中6日であれば、もっと選手寿命は長かったことだろう。当然、昭和の時代から正されてきたものもある。
指導者たちには腹をくくってもらいたい
どのスポーツでも変わりはないだろうが、野球選手にとって必要なものはまず努力、それから自己管理、そして自分に合った技術だ。この3つをわきまえることができるか。それが一軍の選手と二軍の選手を分けることになる。3つのうち何かが欠けていては一軍に上がることはできない。才能がありながら二軍でくすぶっている選手、少し手直ししてやれば絶対に一軍で活躍できるだろう選手はたくさんいる。プロ野球の世界には全国から才能のある選手が集まってきているのだから。本当にもったいない話だ。
彼らが頼る指導者の問題もある。令和の時代には、これまで以上に指導者にも腹をくくってもらいたい。選手の人生が懸かっているのだ。今日は「バットを立てろ」、明日は「バットを寝かせろ」。そんないい加減な指導をしていいはずがない。故郷を離れて野球に人生を懸けようと必死になっている選手たちの人生を変えてしまうことになるのだ。そのことを自覚してほしい。
どんな選手にも、直してやらなければならない部分は必ずある。ましてや二軍の若い選手たちであればなおさらだ。そのためには、その場だけではなく、1週間、10日とそれぞれの選手たちをしっかり観察し、その選手にはどういった形が適しているのかを指導者が一生懸命考え、勉強しなければならない。
平成の間に野球界が間違った道へ進んでしまった部分は多々ある。であれば、令和の時代にしっかり正さねばならない。平成を顧みることなく、ただただ前へ進もうとしてもダメだ。間違った道を歩んでいることに関しては、一度立ち止まり、そして立ち戻る必要がある。そこで再び何十回でも、何百回でも話し合いを重ね、新たな正しい道を見つけなければならない。ボールの反発力もそうだ。球場の広さやアメリカに追従するだけのルールもそうだ。指導者のあり方もそうだ。
アマチュアの選手たち、そしてファンたちに「なんて足が速いんだ」「あんなに肩がいいのか」「とんでもない技術だ」、そう感じてもらえるような素晴らしいプレーを見せる選手にどんどん出てきてもらいたい。技術と技術がぶつかり合う、本物のゲームを数多く見せてもらいたい。そして、多くのファンを喜ばせてもらいたい。昭和の野球には確かに存在していた“浪漫”を取り戻してもらいたいのだ。
それこそが、私が令和という新しい時代のプロ野球界に期待することだ。そのために、もう一度、しっかりと正しい道を歩んでいかなければならない。
PROFILE 張本勲/はりもと・いさお●1940年6月19日生まれ。
広島県出身。左投左打。広島・松本商高から大阪・浪華商高を経て59年に東映(のち日拓、
日本ハム)へ入団して新人王に。61年に首位打者に輝き、以降も広角に打ち分けるスプレー打法で安打を量産。長打力と俊足を兼ね備えた安打製造機として7度の首位打者に輝く。76年に巨人へ移籍して
長嶋茂雄監督の初優勝に貢献。80年に
ロッテへ移籍し、翌81年限りで引退。通算3085安打をはじめ数々の史上最多記録を打ち立てた。90年野球殿堂入り。現役時代の通算成績は2752試合、3085安打、504本塁打、1676打点、319盗塁、打率.319。