
令和の時代にはかつての王のような技術と力を兼ね備えた選手に出てきてもらいたい
平成の間に野球界から失われたものがある
平成の時代が間もなく終わりを告げようとしている。私のような昭和の人間にとっては、こと野球界に関して言えば、平成の時代にあまりいい思い出はない。
もちろん平成の野球界にも
イチロー(元
オリックスほか)や
大谷翔平(エンゼルス)など、たくさんの素晴らしい選手たちが生まれてきた。だが、プロ野球全体を見渡せば、昭和の野球にあった“浪漫(ろまん)”が消えていった時代でもあった。ピッチャーとバッターが平等な条件で、力と力だけでなく、技術と技術をぶつけ合う。そんな真剣勝負の中からしか“浪漫”は生まれない。
前回も書いたが、その理由の一つは打高投低にある。誰が見ても「ああ、自分たちにはマネができないな」と思わせるプレーを見せるのがプロ野球選手の使命であり、それが野球少年・少女たちに夢を見せるということでもある。それが今は、「これだったらちょっと上半身に力をつけて、バットをボールにぶつければ自分でもホームランを打てるかな」とアマチュアの選手たちに思わせてしまうような野球になってしまった。技術よりも、力ばかりに目が行ってしまっている。
4月6日は全6カードで22本ものホームランが乱れ飛んだ。しかも、こすったような打球が次々とスタンドに飛び込んでいった。確かにその瞬間は面白いと感じるかもしれないが、これでは引き締まった野球、固唾をのんでゲームに引き込まれるような本物の野球がどんどん失われていってしまう。
平成の時代の少し前からではあるが・・・
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