
金田さんは褒めても褒めても褒め足りないほどのピッチャーだった
私が生涯見た中で最も速い真っすぐ
10月6日の早朝、
金田正一さんがお亡くなりになった。プロ野球界だけではない、日本における昭和の巨星が、またひとつ墜ちた。
私が見た中では史上最高のピッチャーだった。トム・シーバー(元メッツほか)や
マイク・マーシャル(元エクスポズほか)といったアメリカのトップクラスのピッチャーをはじめ、何百人ものピッチャーを見てきたが、特に真っすぐに関しては間違いなく世界一だった。
初めてお会いしたのは私が東映に入団して1年目の3月、鹿児島でのオープン戦のときだ。突然、食事に呼ばれてびっくりした覚えがある。すでに大投手だった金田さんを前に緊張しっぱなしで、ステーキをごちそうしていただいたと思うのだが、緊張し過ぎて正直、記憶がない。
金田さんの“すごさ”を、身をもって体感したのが翌1960年、川崎球場でのオールスター第1戦だ。パ・リーグの四番は大打者の
山内一弘さん(当時・大毎)で、私は五番を任されていた。山内さんにはかわいがっていただき、私も親しみを込めて「おじさん」と呼んでいたのだが、金田さん相手に初回に見逃し三振に倒れた山内さんに「おじさん、どうでしたか」と聞くと、「まあ、(打席に)立ってみいや」とだけ言う。
迎えた2回、先頭で打席に入ると、いきなりとんでもない真っすぐがダーンと来た。キャッチャーの
土井淳さん(元大洋)が「ハリ、速いやろ。こんなピッチャー、パ・リーグにおらんやろ」と話し掛けてきたので、「はい、いないと思います」と答えた直後、金田さんはマウンドから2、3歩下りてくると「おいハリ・・・
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