
安打を量産した筆者だが、セーフティーバントの技術も高かった
4割の難しさ
先日、高野連が甲子園球場でセンバツに出場する予定だった32校を招待して「2020年甲子園高校野球交流試合」を開催することが決まった。
私は数号前に「ここは大人の出番だ」と書いた。甲子園に出場するはずだった高校球児たちに、何か代わりとなる思い出の大会を開き、甲子園の土を踏ませてあげることはできないものかと訴えたのだが、そのとおりになった。高野連もいい配慮をしてくれたと思うし、私からもありがとうと感謝の気持ちを伝えたい。
一方、プロ野球は6月19日についに開幕となった。今シーズンは120試合制。昨年の143試合に比べれば確かに少ないが、われわれの時代は主に130試合制だったから、それほど少ないこともない。問題は6月開幕による日程の短縮だろう。
試合数が減ったことで、4割打者が出るのではないかという声もあるようだが、私に言わせればそれは不可能に近い。まずは4割を打つことがどれほど難しいことかは歴史が証明している。まだ誰も打ったことがないのだ。60試合、70試合ならともかく、120試合では厳しい。また、そんな高打率を残している打者とは日本の投手は勝負しなくなる。四球を選べば率を残せそうな気もするが、やはり安打を重ねることこそが4割打者への近道なのだ。
私もシーズン4割に大きく近づいたことがある。あれはプロ12年目、1970年のことだった。開幕からコンスタントに安打を放ち、夏場に入ってもその勢いは衰えることなく、9月16日の
ロッテ戦(後楽園)を終えた時点で打率は.396だった。試合数はすでに100試合を超えていたはずだ。当時は130試合制。私は4割への手応えを感じていたのだが、そこから打率はじわじわと下がってしまった。
あのときはマスコミに・・・
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