
プロ3年目で初の首位打者に輝いた筆者。まだ21歳の若さだった
7度の首位打者タイトル
シーズンも終盤を迎えると優勝争いもさることながら、タイトルレースも熱を帯びてくる。こちらはチームではなく個人のタイトルだから、打者であれ、投手であれ、自分自身との戦いとなる。
私は首位打者のタイトルを通算で7回獲得している。最初に獲ったのはプロ3年目の1961年だった。この年は東映に
水原茂監督が就任した年でもあり、最後まで南海と優勝争いを繰り広げていた。
8月から9月にかけて私の打率は3割1分台を推移していて、リーグの10傑には入っていたように思うが、それほど強くタイトルを意識していなかった。それよりもチームの優勝だった。
そんな私がタイトルを意識し始めたのは、9月も終わろうとしているころだった。首位打者争いの中心は、
榎本喜八さん、
田宮謙次郎さん(ともに大毎)、
杉山光平さん(南海)だったが、そのうちの一人である榎本さんが「張本くんの若さではタイトルは無理だろう」とインタビューで答えていたのだ。それをたまたま新聞で読んだ私は「なぜだろう」と不思議だった。そして「その理由を教えてほしい」と思った。
もちろん本人に聞けるわけではない。榎本さんと言えば大先輩であり、前年の首位打者だ。であれば私がするべきことは・・・
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