
偉大な打者であり、名監督でもあった川上哲治。背番号16は巨人の永久欠番に
川上さんからの宝物
私が育ったのは
広島だが、野球に明け暮れた中学時代、厳しい練習の合間をぬって仲間とプロ野球の試合を見に行った。言うまでもなく広島戦だ。当時はまだ広島市民球場はなく、観音球場(広島総合球場)というところで行われていた。
チケットを買うようなお金は持っていない。外野スタンドの近くにあった大きな木に仲間とよじ登り、そこからよく観戦していた。のどかな時代の懐かしい思い出だ。
投手が投げるボールのスピード、打者が打つ打球のスピード、プロのレベルはさすがに違った。その中でも私が目を奪われたのは川上哲治さん(巨人)のバッティングだった。最初から最後までほとんど上下左右に動かず、軸がぶれない。小さな構えからわずかに手の甲だけを引いて打つ。“打撃の神様”と言われるだけあって、そのミート力に惚れ惚れした。あれからもう何十年経ったか分からないが、今でも私の中で一番の打者と言えば川上さんだ。私がもっとも尊敬している打撃人と言っていい。今回はその川上さんについての思い出を書いてみたい。
プロ野球初の2000安打を放った川上さんが現役を引退されたのは1958年。私が東映に入団したのは59年だから、ちょうど入れ違いとなる。その後、川上さんは巨人のコーチ、監督を務めることになるが、川上さんはセ、私はパとリーグが違ったから大きな接点はなかった。
その川上さんから大きな宝物をいただいたのは・・・
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