
今も昔も甲子園球場は高校球児にとって夢の舞台だ
口は災いのもと
大型連休に入る前に3度目となる緊急事態宣言が発令された。4月25日から5月11日までと今回は短期集中のようだが、それでもウイルスを完全に抑え込むのは難しいだろう(その後5月7日に5月31日までの延長が決定)。いつまで続くのかと閉塞感を感じるが、こればかりは我慢をするしかない。慣れてくるころが一番危ないと思っていたが、やはりそれが現実になったということだ。プロ野球も無観客試合や延期での対応となったが、国難という緊急事態を考えれば無理もない。
さて、今回は私の高校時代の話をしよう。浪商高出身(現大体大浪商高)ということで私が大阪出身と思っている読者もいるようだが、私の出身は
広島である。小学5年生のときに野球と出合ったが、私は中学に入学したら水泳部に入るつもりだった。泳ぎは得意だったし、速かった。何よりも水泳なら火傷した右手もさほど気にならない。ところが進学した中学に水泳部がなかったから、野球部に入ることになった。
水泳に限らず、私はスポーツ万能だった。同じ年の仲間よりも体は大きかったし、大きいだけでなくスピードもあった。野球部に入って最初は投手をやっていたが、途中から打者になった。野球部の練習時間は長く、また厳しかったため、帰りはいつも夜遅い。お腹が空いてどうしようもなかった。帰り道の売店で仲間とパンを買って食べたものだが、その売店の前には・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン