
愛すべき野球人だった“大沢親分”。情に厚い監督だった
逗子の石原、横浜の大沢
少し前の話になるが、久しぶりにTBSの「サンデーモーニング」に出演した。昨年まで毎週日曜日、私が長く出ていた番組だ。プロ野球の開幕に合わせて呼ばれたわけだが、何だか故郷の実家に帰って来たような気分だった。それほど長く番組に出ていたということだろう。
そもそも私がこの番組に出るようになったのは、大沢さん(
大沢啓二、元
日本ハム監督)がきっかけだった。大沢さんはずいぶん前に亡くなったが(2010年10月没78歳)、それまでこの番組の「週刊御意見番」というスポーツコーナーのレギュラーだった。覚えている方も多いだろう。そこで毎週ゲストを呼んでいて、ある日、OBクラブの仕事で大沢さんに会ったときに「お前、今度ゲストで来い」と誘われたのだ。私はこういう性格だから言いたいことを率直に言う。それが受けたのか、大沢さんから「また出てくれ」と言われ、そこから毎週出るようになったと記憶している。今週号は監督の特集のようだから、ちょうどいい。大沢さんの話をしよう。大沢さんと言えば日本ハムの監督が長くて有名だが、その前は
ロッテの監督も少しばかり務めている。
大沢さんは1932年3月の生まれだから、私よりも8歳上の大先輩にあたる。神奈川県出身で立大から56年に南海に入団。ドラフト会議などない時代。当時の南海の鶴岡(
鶴岡一人)監督から、ぜひにと言われて入団を決めたようだ。有名な話としては・・・
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