
プロ3年目の鈴木啓示[左]と三原脩監督。写真は1968年[写真=BBM]
三原近鉄でチームに変化
4月19日の
ソフトバンク戦(京セラドーム)で、ついに
オリックスの
山本由伸の連勝記録が止まった。8回2失点だったものの、打線がゼロでは勝てない。19連勝はならなかったということだが、それでも昨年5月以来の黒星だから大したものだ。私も予想したオリックスの連覇は山本の活躍が大前提。記録はいつか止まるものだから、ここから先のほうが重要になる。
今回はそのオリックスにも関連しているが、昔の近鉄について話をしてみたい。オリックス・バファローズのバファローズのほうだ。皆さんもご存じかと思うが、近鉄は2004年の球界再編でオリックスと合併することになり、球団として長い歴史に幕を閉じている。1949年の創立だったから55年に及ぶ歴史となるが、私の現役時代は同じパ・リーグで常に戦った懐かしい球団だ。
私が東映に入団したのは59年のことだったが、当時の近鉄は非常に弱かった。調べてみると58~62年まで5年連続最下位。63年は4位になったものの、64~67年は4年連続の最下位だ。つまり10年間で9年も最下位になっている。この成績では“パのお荷物球団”と言われても当然で、私もチームも近鉄戦となれば「いただき」と思ったものだ。特にひどかったのは61年。36勝103敗1分けで勝率は.261。103敗は今でもプロ野球の最多敗戦数だ。この年は西鉄の
稲尾和久さんが42勝を挙げた年で、稲尾さんが一人で挙げた勝ち星に及ばなかったわけである。稲尾さんもすごいが、当時の近鉄の弱さはそれほどひどかったわけだ。
その弱小球団が変わったのは、
前号でも紹介した名将の一人、三原脩さんが監督になってからだ。
巨人、西鉄、大洋に次いで4球団目となる監督だったが、西鉄で黄金時代を築いた手腕、前年最下位だった大洋を日本一に導いた采配はさすがだった。68年からの3年間で優勝はできなかったものの、4位、2位、3位とチームを浮上させた。東映にこれまた名将の一人、
水原茂さんが監督に就任してチームが生まれ変わったのと同様に、近鉄も三原さんになって生まれ変わったのだ。私はそれを肌で感じていたから・・・
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