「そこまでやるか」という意見
僕たちプロスカウトの仕事は調査をすることで、決断、決定は編成本部が行う。とは言ってもトレード調査も国内外国人獲得調査も、そのすべてに僕自身がかかわっているとは限らない。誰と誰のトレードを決めたとか、新外国人を(国内移籍で)獲得するとかいう話がいきなり耳に入ってくることだってある。また、それをずっと知らされないままマスコミ報道によって知ることだってある。これは機密漏れを防ぐためでもあり、他球団のプロスカウトの皆さんも同様なことはあると常に言っていたのを思い出す。
それにしても、僕が驚いたのは2008年の外国人選手移籍補強で“最強三羽烏”と言っていいアレックス・ラミレス、マーク・クルーン、セス・グライシンガーの入団だった。言わずと知れたこの3人、ラミレスはヤクルトの不動の四番打者、同じくグライシンガーもヤクルトの先発として来日初年度にいきなり16勝を挙げて最多勝を獲得したローテの中心的存在、クルーンは横浜(現
DeNA)で3年連続25セーブ以上をマークしている守護神という強力な助っ人たちだった。
もちろん、僕も初耳の話だった。彼らが新たにその力を求められる球団と契約することはルール上、当然可能であり、その獲得競争の末、巨人が彼らを迎えることを成就させた。ただ、他球団のどのチームを見ても、強力な四番打者の不在や先発投手不足、そしてストッパー不在の課題を抱えているチームばかりで、確かにそれは「引き抜き感」が強く、それゆえにこの補強は多くの「そこまでやるか」という意見もあり、物議も醸した。
1970年代から80年代にかけてヤクルトアトムズ、ヤクルトスワローズで先発ローテの一角として、4年連続2ケタ勝利を挙げるなど技巧派左腕として活躍した
安田猛さんはその当時、ヤクルトのプロスカウトで、僕も一緒に仕事をさせてもらった時期があった。ラミレス、クルーン、グライシンガーの3人の外国人選手を巨人が獲得したこの年、安田さんから言われたことがある。
「おい香坂、巨人は3人獲ったけど、それで勝ってうれしいの?」
打者に打ち気がないと見ると、ビシッとど真ん中にストレートを投げ込む意表を突いた安田さんらしいピッチングのように、僕に突然そう話しかけた。安田さんとはそれまであまり多く言葉をかわしたことがなかったこともあり、僕はそのいきなりの“直球”に戸惑ってしまう。そして安田さんは「俺だったら、うれしくないけどなぁー」と少し笑いながら言った。僕は返答に困ってしまった。だが、安田さんの朴訥(ぼくとつ)な人柄にいつも触れていた僕は正直に本音を言うことにした。
「そうですね……、それほどうれしくないかもしれませんね……」
安田さんは「そうだろう……」と言って、また小さく笑った。でも、安田さんはそのあと、だからどうだというような話は一切しなかった。確かにヤクルトはラミレスとグライシンガーを半ば奪われた形になったが、僕は安田さんの顔を見ながら、本当は「こんちくしょう」という気持ちがあったのだろうなと察していた。
「あの土手で見てろ!」
また当時、ヤクルトの二軍試合を視察に行けば、ヤクルトのしかるべき方にも僕はこの移籍についてお叱りを受けたことがあった。巨人の先輩でもある当時ヤクルト監督の
高田繁さんだ。高田さんの現役生活最終年、僕は巨人に入団した。「塀際の魔術師、高田繁をバックに投げた歴代の多くの投手」の中で、僕がその最後にマウンドに上がった投手なのではないかと思っている。後楽園球場での高田さんの惜別の胴上げにも参加させてもらった。それはとても光栄なこととして僕の思い出の中に刻まれている。
その後も僕が現場広報としてチームに付いたときも高田さんは
藤田元司監督の下、ヘッドコーチをされ、その人一倍厳しい指導を目の前で見ている。僕にとって高田さんは一言で「厳しい人」、そして「怖い人」だった。それでもその後、僕がプロスカウトとして、ヤクルトのキャンプ地に出向いたときなどは「おい香坂、元気にやっているのか」と笑顔で声を掛けてくれる。でも、その優しさは僕にとっては逆に不気味で、近寄りがたい存在ということには変わりはなかった。それでも高田さんは、キャンプ視察にお邪魔したときも僕をからかったりして、いつも笑顔で迎えてくれた。
しかし、08年は違った……。高田さんはヤクルトの一軍監督、プロスカウトの僕は二軍戦を視察することが多く、この日も埼玉県にある二軍本拠地の戸田球場を訪れていた。高田さんはナイトゲームがあるときでも、日中は戸田球場に足しげく通い、若手選手を常にチェックしていることが多かった。
「おはようございます! よろしくお願いします」と僕はいつものように戸田球場を訪ね、試合前の練習を見ていた。すると、ドアがギッと開き、高田さんがバックネット裏の球団関係者室に入って来た。そして僕の顔を見ての高田さんの第一声……、「おい、誰だぁ! 巨人のヤツを入れたのはぁ」。このときの高田さんの顔は「マジ」だった。「巨人のヤツ」って、俺のこと……? 他球団のプロスカウトは何人かいたものの、確かにここに巨人関係者は僕しかいない……。ただ、なぜ僕が高田さんに責められるのか……。そのときはまだ僕はピンとこなかった。いやいや、ピンと来ないなどと言ってはいけない。巨人はヤクルトの四番打者とエースの外国人選手2人と昨年オフに電撃契約していたのだ。
そして高田さんは甲高い声で「オマエ! ヨソのチームの選手をゴソッと獲っていっておいて、よくこんなところに来られるなぁー」。ビシッとその言葉で僕はその肩身の狭さにさいなまれ、笑ってごまかすことさえできなくなる。もちろん周りには僕をフォローしてくれる人など誰一人いないし、ヤクルト関係者や他球団プロスカウトたちは、いたたまれない面持ちでただ僕を見てくれていたような、その雰囲気だけを感じ取るのがやっとだった。
気まずい時間が過ぎたその瞬間、「ハハハッー」と高田さんが大きな声をあげて笑った。そして、笑いながら「オマエは、あの土手の上あたりで見とけ!」と言って戸田球場の三塁側の後方にある河川敷の土手の上のほうを指さした。その場にいた10人くらいの関係者一同が爆笑する(笑)。フゥー! 冷や汗が止まらなかった。助かったと思うと同時に、「鬼の高田、健在」を再認識する(笑)。

投打の主力を引き抜かれたヤクルト・高田監督は筆者にきつい言葉を投げかけた
再び、戸田球場で前回同様、若手選手のチェックで高田さんがやって来た。僕はもう今度は怒られないだろうと思い、気を取り直してバックネット裏の球団関係者エリアに入って来た高田さんに一礼した。すると、けげんな表情で高田さんは「なんだオマエ、また入ってるのか。あの土手で見てろって言ったじゃないか」と言って目を三角にした。そして「オイ、あれほど巨人のヤツは入れるなと言っただろう」と傍にいたヤクルト二軍総務の熊田智行君に言う。ウッ、またもや「高田爆弾」! そして、またその瞬間、「ハハハッー」と大きな声で高田さんは笑った。
浪商高(現大体大浪商高)、明治大学出身のエリートプレーヤーであり、巨人V9戦士の高田さんだ。一度のお叱りで終わると思っていた僕が甘かった……(笑)。でも、高田さんの目は笑ってなかったような気がする。シーズンが始まるとラミレス、グライシンガーを奪われたことが高田さんの巨人との勝負にかける強い執念として采配に反映したことは明らかだった。
補強するからには日本一を
僕が巨人に入団した80年は
王貞治さんが引退した年だった。
長嶋茂雄さんもすでに監督として指揮を執っている時代で、ONが去ったあとの巨人の再構築が練られているときから数年にわたって、巨人のアマチュアスカウトの諸先輩たちは全国から有望な選手を見出してきた。
西本聖、
定岡正二、
篠塚利夫(現和典)、
岡崎郁、
駒田徳広、
槙原寛己、
吉村禎章、
村田真一、
斎藤雅樹、
川相昌弘、
水野雄仁、
香田勲男、
井上真二、
桑田真澄、
木田優夫、
緒方耕一、
元木大介、
松井秀喜らほか多数……。彼らは皆、高校出身であり、その類稀な能力をたゆまぬ練習で磨き、巨人の栄光に貢献する活躍をしてきた。
彼らは「スカウティングと育成」という巨人のチーム構築の技が生んだ財産と言える選手ばかりだった(選手は商品と言われたりすることがあるが、そうではなく、財産である)。そして、即戦力である大学出身選手、社会人出身選手らと理想的に融合させてチームを編成し、外国人選手、FA選手、トレード移籍選手でさらに補う。そのようなバランスの良いチームを構築、維持して何度も巨人の歴史に全盛期を作り上げてきた。だから、僕はやはり「スカウティングと育成」が何よりもチーム作りの理念の根幹になるのだと考えている。
それゆえに、今回の3人の外国人補強については「そこまでやるか……」という思いに至ってしまう。とは言いつつも、球界の盟主、常勝巨人軍、なりふり構わずというのであれば、それは結果的に絶対に、絶対にリーグ優勝、日本一という最高の結果を出さなくてはならない。「そこまでの補強をしたのなら、勝って当然だろう」と言われても、それはそのとおりで、結果を出すのが巨人の使命だからだ。
僕は本音を言えば、この「スカウティングと育成」の言葉どおり、見出され、育てられた何人もの選手たちが次々に大舞台に上り、巨人の勝利に貢献する姿をいつも見ていたい。これは応援してくださる多くのファンの方々も期待していることなのではないかと思う。僕の考えが「昭和」なのかもしれないが、同い年の篠塚や同期入団の岡崎らの時代を見ていた僕はこの3人の外国人補強をやはり「そこまでやるか……」と思ってしまうのである。
この補強の年、08年の巨人はリーグ優勝を遂げたものの、日本シリーズでは
西武に3勝4敗で敗れ、惜しくも日本一を逃している。ただ、なりふり構わず最高の外国人補強をやったのであれば、完璧な結果である「日本シリーズ制覇」をつかみ切らなくてはいけなかったのだろう。
PROFILE 香坂英典/こうさか・ひでのり●1957年10月19日生まれ。埼玉県出身。川越工高から中央大に進み、東都大学リーグで79年春にノーヒットノーランを含む7勝を挙げ、優勝に貢献。全日本大学選手権でも優勝した。80年ドラフト外で巨人入団。84年限りで引退。一軍では8試合登板で1勝0敗0セーブ、防御率4.38。引退後、打撃投手、先乗りスコアラー、広報など巨人一筋で過ごし、20年退社。